・・・するとそこに洋食屋が一軒、片側を照らした月明りに白い暖簾を垂らしていた。この店の噂は保吉さえも何度か聞かされた事があった。「はいろうか?」「はいっても好いな。」――そんな事を云い合う内に、我々はもう風中を先に、狭い店の中へなだれこんでいた。・・・ 芥川竜之介 「魚河岸」
・・・が、片側に並んだ竈は幾つも炎を動かしていた。僕はそこを通りぬけながら、白い帽をかぶったコックたちの冷やかに僕を見ているのを感じた。同時に又僕の堕ちた地獄を感じた。「神よ、我を罰し給え。怒り給うこと勿れ。恐らくは我滅びん」――こう云う祈祷もこ・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・店は熔炉の火口を開いたように明るくて、馬鹿馬鹿しくだだっ広い北海道の七間道路が向側まではっきりと照らされていた。片側町ではあるけれども、とにかく家並があるだけに、強て方向を変えさせられた風の脚が意趣に砂を捲き上げた。砂は蹄鉄屋の前の火の光に・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ 大川の瀬がさっと聞こえて、片側町の、岸の松並木に風が渡った。「……かし本。――ろくでもない事を覚えて、此奴めが。こんな変な場処まで捜しまわるようでは、あすこ、ここ、町の本屋をあら方あらしたに違いない。道理こそ、お父さんが大層な心配・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・――その坂を下りかかる片側に、坂なりに落込んだ空溝の広いのがあって、道には破朽ちた柵が結ってある。その空溝を隔てた、葎をそのまま斜違いに下る藪垣を、むこう裏から這って、茂って、またたとえば、瑪瑙で刻んだ、ささ蟹のようなスズメの蝋燭が見つかっ・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・ そこで、宗吉が当時寝泊りをしていたのは、同じ明神坂の片側長屋の一軒で、ここには食うや食わずの医学生あがりの、松田と云うのが夫婦で居た。 その突当りの、柳の樹に、軒燈の掛った見晴のいい誰かの妾宅の貸間に居た、露の垂れそうな綺麗なのが・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・下りると、これが、頑丈な事は、巨巌を斫開いたようです。下りると、片側に座敷が五つばかり並んで、向うの端だけ客が泊ったらしい。ところが、次の間つきで、奥だけ幽にともれていて、あとが暗い。一方が洗面所で、傍に大きな石の手水鉢がある、跼んで手を洗・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・自動車をやっているので、長兄自身大型の乗合を運転して、昔のままの狭い通りや、空濠の土手の上を通ったりして、何十年にも変りのない片側が寺ばかしの陰気な町の菩提寺へと乗りつけた。伯母はもう一汽車前の汽車で来ていて、茶の間で和尚さんと茶を飲んでい・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・これは豪雨のときに氾濫する虞れの多い溪の水からこの温泉を守る防壁で、片側はその壁、片側は崖の壁で、その上に人々が衣服を脱いだり一服したりする三十畳敷くらいの木造建築がとりつけてあった。そしてこれが村の人達の共同の所有になっているセコノタキ温・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・ 戸数五百に足らぬ一筋町の東の外れに石橋あり、それを渡れば商家でもなく百姓家でもない藁葺き屋根の左右両側に建ち並ぶこと一丁ばかり、そこに八幡宮ありて、その鳥居の前からが片側町、三角餅の茶店はこの外れにあるなり。前は青田、青田が尽きて塩浜・・・ 国木田独歩 「置土産」
出典:青空文庫