・・・ 三十路を越えても、窶れても、今もその美しさ。片田舎の虎杖になぞ世にある人とは思われません。 ために、音信を怠りました。夢に所がきをするようですから。……とは言え、一つは、日に増し、不思議に色の濃くなる炉の右左の人を憚ったのでありま・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・ さては随筆に飛騨、信州などの山近な片田舎に、宿を借る旅人が、病もなく一晩の内に息の根が止る事がしばしば有る、それは方言飛縁魔と称え、蝙蝠に似た嘴の尖った異形なものが、長襦袢を着て扱帯を纏い、旅人の目には妖艶な女と見えて、寝ているものの・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・、わたしはちょいと見廻って来るからと云って、少し離れたところに建ててある養蚕所を監視に出て行ったので、この広い家に年のいかないもの二人限であるが、そこは巡査さんも月に何度かしか回って来ないほどの山間の片田舎だけに長閑なもので、二人は何の気も・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
これは十年ほど前から単身都落ちして、或る片田舎に定住している老詩人が、所謂日本ルネサンスのとき到って脚光を浴び、その地方の教育会の招聘を受け、男女同権と題して試みたところの不思議な講演の速記録である。 ――もは・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・こうしてまた、だんだん私の所謂精神生活が、息を吹きかえして来たようで、けれどもさすがに自分が光琳、乾山のような名家になろうなどという大それた野心を起す事はなく、まあ片田舎のディレッタント、そうして自分に出来る精一ぱいの仕事は、朝から晩まで郵・・・ 太宰治 「トカトントン」
・・・どもの死んだ長男は、東京帝大の医科にはいって、もう十年もそれ以上も、昔の話でございますけど、あれが卒業間際に死んだ時には、帝大の先生やら学生さんやら、たくさんの人からおくやみ状をいただき、また、こんな片田舎にまで、わざわざご自身でお墓まいり・・・ 太宰治 「春の枯葉」
・・・ こんな風に二人は、この山毛欅に囲まれた片田舎で、これまでにない、面白い一春を過した。春というものの華やかさと楽しさとは、二人に迎合して遊ばせてくれた。轡を並べて遠乗をして、美しい谷間から、遥にアルピイの青い山を望んだこともある。 ・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・すなわち、こういう遅緩なテンポとリズムを使用することによって、ロシアの片田舎のムジークの鈍重で執拗な心持ちがわれわれ観客の心の中にしみじみとしみ込んで来るような気がしないことはない。 葬式の行列もやはりわれわれには多少テンポのゆるやかす・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・そうかと思うとどこかまたイギリスのノーザンバーランドへんの偏僻な片田舎の森や沼の間に生まれた夢物語であるような気もするのである。 それからずっと後に同じ著者の「怪談」を読んだときもこれと全く同じような印象を受けたのであった。 今度小・・・ 寺田寅彦 「小泉八雲秘稿画本「妖魔詩話」」
・・・ 明治二十年代の片田舎での出来事として考えるときに、この杏仁水の饗応がはなはだオリジナルであり、ハイカラな現象であったような気がする。 大学在学中に、学生のために無料診察を引受けていたいわゆる校医にK氏が居た。いたずら好きの学生達は・・・ 寺田寅彦 「さまよえるユダヤ人の手記より」
出典:青空文庫