・・・明治十七、八年頃の片田舎の裁判所の書記生にしては実に驚くべきハイカラであったに相違ないのである。ゲーテのライネケフックスの訳本を読んで聞かせてくれたり、十歳未満の自分にミルの経済論、ルソーの民約論を教授してくれるという予告だけでもしてくれた・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
・・・どうせ取寄せるなら、どこか、イギリス辺の片田舎からでも取寄せたら、そうしたらあるいは私の思っているようなものが得られそうな気がする。 しかしそれも面倒である。結局私はこの油の漏れる和製の文化的ランプをハンダ付けでもして修繕して、どうにか・・・ 寺田寅彦 「石油ランプ」
・・・子供の時分から色刷り石版画や地理書のさし絵で見慣れていて、そして東洋の日本の片田舎に育った子供の自分が、好奇心にみちた憧憬の対象として、西洋というものを想像するときにいつも思い浮かべた幻像の一つであったあのヴェスヴィアスが、今その現実の姿を・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・ 大道蓄音機が文化の福音を片田舎に広めた事は疑いもないが、同時にあの耳にはさむ管の端が耳の病気を伝播させはしなかったかと心配する。今ならばフォルマリンか何かで消毒するだろうが、あのころそういう衛生上の注意が行き届いていたかどうか疑わしい・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・ 文明の波が潮のように片田舎にも押し寄せて来て、固有の文化のなごりはたいてい流してしまった。「ナーンモーンデー」の儀式もいつのまにか廃止された。学校へ行って文明を教わっている村の青年たちには、裃をつけて菅笠をかむって、無意味なような「ナ・・・ 寺田寅彦 「田園雑感」
・・・ 亮の存在が、私の頭の中で著しく鮮明になって来たのは、私が国の中学校を出て高等学校に入学し、年々の暑中休暇に帰省した時分からである。 片田舎の中学生で、さきざき高等学校から大学に進もうという志望をいだいているものにとっては、暑中休暇・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・嘗て墨汁一滴か何かの中に、独乙では姉崎や、藤代が独乙語で演説をして大喝采を博しているのに漱石は倫敦の片田舎の下宿に燻って、婆さんからいじめられていると云う様な事をかいた。こんな事をかくときは、にくい男だが、書きたいことは多いが、苦しいから許・・・ 夏目漱石 「『吾輩は猫である』中篇自序」
・・・ 人の知らない遠い片田舎に、今の奥さまが、まだ新嫁でいらしッたころ、一人の緑子を形見に残して、契合た夫が世をお去りなすったので、迹に一人淋しく侘住いをして、いらっしゃった事があったそうです。さすがの美人が憂に沈でる有様、白そうびが露に悩・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
出典:青空文庫