・・・その上顔は美しい牙彫で、しかも唇には珊瑚のような一点の朱まで加えてある。…… 私は黙って腕を組んだまま、しばらくはこの黒衣聖母の美しい顔を眺めていた。が、眺めている内に、何か怪しい表情が、象牙の顔のどこだかに、漂っているような心もちがし・・・ 芥川竜之介 「黒衣聖母」
・・・大名と呼ばれた封建時代の貴族たちが、黄金の十字架を胸に懸けて、パアテル・ノステルを口にした日本を、――貴族の夫人たちが、珊瑚の念珠を爪繰って、毘留善麻利耶の前に跪いた日本を、その彼が訪れなかったと云う筈はない。更に平凡な云い方をすれば、当時・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・ただ、黄昏と共に身辺を去来して、そが珊瑚の念珠と、象牙に似たる手頸とを、えもならず美しき幻の如く眺めしのみ。もしわれにして、汝ら沙門の恐るる如き、兇険無道の悪魔ならんか、夫人は必ず汝の前に懺悔の涙をそそがんより、速に不義の快楽に耽って、堕獄・・・ 芥川竜之介 「るしへる」
・・・薄紅い影、青い隈取り、水晶のような可愛い目、珊瑚の玉は唇よ。揃って、すっ、はらりと、すっ、袖をば、裳をば、碧に靡かし、紫に颯と捌く、薄紅を飜す。 笛が聞える、鼓が鳴る。ひゅうら、ひゅうら、ツテン、テン、おひゃら、ひゅうい、チテン、テン、・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・……手につまさぐるのは、真紅の茨の実で、その連る紅玉が、手首に珊瑚の珠数に見えた。「ほん、ほん。こなたは、これ。(や、爺と、姉さんと二人して、潟に放いて、放生会をさっしゃりたそうな人相じゃがいの、ほん、ほん。おはは。」 と笑いながら・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・山吹は黄なる貝を刻んだようで、つつじの薄紅は珊瑚に似ていた。 音のない水が、細く、その葉の下、草の中を流れている。それが、潺々として巌に咽んで泣く谿河よりも寂しかった。 実際、この道では、自分たちのほか、人らしいものの影も見なかった・・・ 泉鏡花 「七宝の柱」
・・・ 七「宮浜はな、今日は、その婦人が紅い木の実の簪を挿していた、やっぱり茱萸だろうと云うが、果物の簪は無かろう……小児の目だもの、珊瑚かも知れん。 そんな事はとにかくだ。 直ぐに、嬉々と廊下から大廻りに、ち・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・ 二 まい茸はその形細き珊瑚の枝に似たり。軸白くして薄紅の色さしたると、樺色なると、また黄なると、三ツ五ツはあらむ、芝茸はわれ取って捨てぬ。最も数多く獲たるは紅茸なり。 こは山蔭の土の色鼠に、朽葉黒かりし小暗・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・ で、何処でも、あの、珊瑚を木乃伊にしたような、ごんごんごまは見当らなかった。――ないものねだりで、なお欲い、歩行くうちに汗を流した。 場所は言うまい。が、向うに森が見えて、樹の茂った坂がある。……私が覚えてからも、むかし道中の茶屋・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・錦重堂板の草双紙、――その頃江戸で出版して、文庫蔵が建ったと伝うるまで世に行われた、釈迦八相倭文庫の挿画のうち、摩耶夫人の御ありさまを、絵のまま羽二重と、友染と、綾、錦、また珊瑚をさえ鏤めて肉置の押絵にした。…… 浄飯王が狩の道にて――・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
出典:青空文庫