・・・これを見た大手先の大小名の家来は、驚破、殿中に椿事があったと云うので、立ち騒ぐ事が一通りでない。何度目付衆が出て、制しても、すぐまた、海嘯のように、押し返して来る。そこへ、殿中の混雑もまた、益々甚しくなり出した。これは御目付土屋長太郎が、御・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・僕はのちにこの椿事を幻灯か何かに映したのを見たこともあるように覚えている。 二三 ダアク一座 僕は当時回向院の境内にいろいろの見世物を見たものである。風船乗り、大蛇、鬼の首、なんとか言う西洋人が非常に高い桿の上からと・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・午飯のテエブルについた時、ある若い武官教官が隣に坐っている保吉にこう云う最近の椿事を話した。――つい二三日前の深更、鉄盗人が二三人学校の裏手へ舟を着けた。それを発見した夜警中の守衛は単身彼等を逮捕しようとした。ところが烈しい格闘の末、あべこ・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・見ると或地方で小学校新築落成式を挙げし当日、廊の欄が倒れて四五十人の児童庭に顛落し重傷者二名、軽傷者三十名との珍事の報道である。「大変ですね。どうしたと言うんでしょう?」「だから私が言わんことじゃあない。その通りだ、安普請をするとそ・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ところがある日その神聖な規律を根底から破棄するような椿事の起こったのを偶然な機会で目撃することができた。いつものように夫婦仲よく並んで泳いでいたひとつがいの雄鳥のほうが、実にはなはだ突然にけたたましい羽音を立てて水面を走り出したと思うとやが・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・この椿事のためにマクシムは七週間も患った。その夏ヴォルガ河口に在るアストラハン市で凱旋門を建てる仕事があって、マクシムは妻子をつれ移住した。四年ぶりでニージニへ戻る船中で彼はコレラで倒れたのであった。 父親が死んでから、小さいアリョ・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・ 儀式はとどこおりなく済んだが、その間にただ一つの珍事が出来した。それは阿部権兵衛が殉死者遺族の一人として、席順によって妙解院殿の位牌の前に進んだとき、焼香をして退きしなに、脇差の小柄を抜き取って髻を押し切って、位牌の前に供えたことであ・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・その汽車に何か椿事が起こって私が重傷を負わないものでもない。もし私が担ぎ込まれた病院で医者に絶望されながら床の上に横たわるとしたら、そうして夜明けまで持つかどうか危ないとしたら、私はどうするだろう。逢いたい人々にも恐らく逢えまい。整理してお・・・ 和辻哲郎 「停車場で感じたこと」
出典:青空文庫