・・・私は十二、三歳の少年の様に甘える。「どうして独力で生活できないのだろうね。さかなやをやったって、いいんだ。」「誰も、やらせてくれないよ。みんな、意地わるいほど、私たちを大切にしてくれるからね。」「そうなんだよ、K。僕だって、ずいぶん・・・ 太宰治 「秋風記」
・・・ちっとも、ひとに甘えることができなくなって、考えこんでばかりいて、くるしいことばかり多くなった。お姉さんは、お嫁にいってしまったし、お父さんは、もういない。たったお母さんと私だけになってしまった。お母さんもお淋しいことばかりなのだろう。こな・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・尼御台さまに甘えるように、ぴったり寄り添ってお坐りになり、そうして将軍家のお顔を仰ぎ見てただにこにこ笑って居られます。 その時将軍家は、私の気のせいか少し御不快の様に見受けられました。しばらくは何もおっしゃらず、例の如く少しお背中を丸く・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・鴎外なぞを持ち出したので、少し事が大袈裟に響くだけのことであって、これを具体的に言うならば、あまり世間の人に甘えるな、というだけのことなのである。「しかしなんといっても、」ゲエテが、しんみりそう教えたではないか。「自己を制限し、孤立させるこ・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・八のおばあちゃんですし、それに、こんなおたふくなので、その上、あの人の自信のない卑下していらっしゃる様子を見ては、こちらにも、それが伝染しちゃって、よけいにぎくしゃくして来て、どうしても無邪気に可愛く甘えることができず、心は慕っているのに、・・・ 太宰治 「皮膚と心」
・・・厳父の厳訓に服することは慈母の慈愛に甘えるのと同等にわれわれの生活の安寧を保証するために必要なことである。 人間の力で自然を克服せんとする努力が西洋における科学の発達を促した。何ゆえに東洋の文化国日本にどうしてそれと同じような科学が同じ・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・それでもああいうきれいな男うなだて好おみちが甘えるように云った。(好ぎたって云ったらおれごしゃぐど思うが。そのこらぃなごと云ってごしゃぐような水臭ぃおらだなぃな。誰だってきれいなものすぎさな。おれだって伊手ででもいいあねこ見ればその話だ・・・ 宮沢賢治 「十六日」
・・・すると小熊が甘えるように言ったのだ。「どうしても雪だよ、おっかさん谷のこっち側だけ白くなっているんだもの。どうしても雪だよ。おっかさん」 すると母親の熊はまだしげしげ見つめていたがやっと言った。「雪でないよ、あすこへだけ降るはず・・・ 宮沢賢治 「なめとこ山の熊」
・・・自分の主観のなかで甘えると、知性は忽ち痲痺してしまうところを見れば、知性というものの本質は健啖であって、ひろいつよい合理的な客観力を、養いとして常に必要としていることも理解される。 今日の日本で、そして女のひとの生活のありように即して、・・・ 宮本百合子 「知性の開眼」
・・・ 後から差す日は、ポカポカと体中に行き渡って、手足や瞼が甘えるように気怠るくなる。 見わたすと、彼方の湯元から立ち昇る湯気が、周囲の金茶色の木立ちの根元から梢へとほの白く這い上って、溶けかかる霜柱が日かげの叢で水晶のように光って見え・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
出典:青空文庫