・・・ ウエイトレスの顔は彼らを迎える大仰な表情でにわかに生き生きし出した。そしてきゃっきゃっと笑いながら何か喋り合っていたが、彼女の使う言葉はある自由さを持った西洋人の日本語で、それを彼女が喋るとき青年達を給仕していたときとはまるでちがった・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・ それは実に明るい、快活な、生き生きした海なんだ。未だかつて疲労にも憂愁にも汚されたことのない純粋に明色の海なんだ。遊覧客や病人の眼に触れ過ぎて甘ったるいポートワインのようになってしまった海ではない。酢っぱくって渋くって泡の立つ葡萄酒の・・・ 梶井基次郎 「海 断片」
・・・それは人の心を撲たずにはおかない、不思議な、生き生きとした、美しさだ。 しかし、昨日、一昨日、俺の心をひどく陰気にしたものもそれなのだ。俺にはその美しさがなにか信じられないもののような気がした。俺は反対に不安になり、憂鬱になり、空虚な気・・・ 梶井基次郎 「桜の樹の下には」
・・・綱雄様と呼びかけたる光代の顔は見るから活き活きとして、直ちにそなたへと走り行きつつ、まあいついらっしゃったの、どんなに待っていましたか知れませんよ。あなたがおいでなさらないうちはね、父様がね、私をいじめてばッかりいるの。と嬌優る目に父を見て・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・口数をあまりきかない、顔色の生白い、額の狭い小づくりな、年は二十一か二の青年を思い出しますと、どうもその身の周囲に生き生きした色がありません、灰色の霧が包んでいるように思われます。「けれども艶福の点において、われわれは樋口に遠く及ばなか・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・僕は気の毒に思った、その柔和な顔つきのまだ生き生きしたところを見て、無残にも四足を縛られたまま松の枝から倒さに下がっているところを見るとかあいそうでならなかった。 たちまち小藪を分けてやッて来たのは猟師である。僕を見て『坊様、今に馬・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
・・・女性の造化から与えられているさまざまの霊能が恋愛の本能の開発する時期に同時に目をさまし、生き生きとあらわれてくる。美と力とそしてことに霊の憧憬が恋愛の感情とともにあらわれるということは、面白いまたありがたい事実といわねばならぬ。徳、善、道と・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・ まず賤しからず貴からず暮らす家の夏の夕暮れの状態としては、生き生きとして活気のある、よい家庭である。 主人は打水を了えて後満足げに庭の面を見わたしたが、やがて足を洗って下駄をはくかとおもうとすぐに下女を呼んで、手拭、石鹸、湯銭等を・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
・・・水上、と聞いて、かず枝のからだは急に生き生きして来た。「あ、そんなら、あたし、甘栗を買って行かなくちゃ。おばさんがね、たべたいたべたい言ってたの。」その宿の老妻に、かず枝は甘えて、また、愛されてもいたようであった。ほとんど素人下宿のよう・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・ 鏡を覗くと、私の顔は、おや、と思うほど活き活きしている。顔は、他人だ。私自身の悲しさや苦しさや、そんな心持とは、全然関係なく、別個に自由に活きている。きょうは頬紅も、つけないのに、こんなに頬がぱっと赤くて、それに、唇も小さく赤く光って・・・ 太宰治 「女生徒」
出典:青空文庫