・・・別・無量無限の個々の形体に至っては、常住なものは決してない、彼等既に始めが有る、必ず終りが無ければならぬ、形成されし者、必ず破壊されねばならぬ、生長する者、必ず衰亡せねばならぬ、厳密に言えば、万物総て生れ出たる刹那より、既に死につつあるので・・・ 幸徳秋水 「死生」
夫が豊多摩刑務所に入ってから、七八ヵ月ほどして赤ん坊が生れた。それでお産の間だけお君はメリヤス工場を休まなければならなかった。工場では共産党に入っていた男の女房を一日も早く首にしたかったので、それがこの上もなくいゝ機会だっ・・・ 小林多喜二 「父帰る」
秀吉金冠を戴きたりといえども五右衛門四天を着けたりといえども猿か友市生れた時は同じ乳呑児なり太閤たると大盗たると聾が聞かば音は異るまじきも変るは塵の世の虫けらどもが栄枯窮達一度が末代とは阿房陀羅経もまたこれを説けりお噺は山・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・二人はこんな出発点のそもそもから全く別のものを持って生まれて来た画家の卵のようにも見えた。 次郎は画作に苦しみ疲れたような顔つきで、癖のように爪をかみながら、「どうも、糞正直にばかりやってもいけないと思って来た。」「お前のはあん・・・ 島崎藤村 「嵐」
一 貧乏な百姓の夫婦がいました。二人は子どもがたくさんあって、苦しいところへ、また一人、男の子が生れました。 けれども、そんなふうに家がひどく貧乏だものですから、人がいやがって、だれもその子の名附親・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・それからどうだっけ。わたしは焼餅なんぞは焼かなかったわ。それがまた不思議ね。それから生れた女の子の名付親に、お前さんをしたのね。その時わたしがあの人に無理に頼んで、お前さんにキスをさせたのね。あの人はこうなれば為方がないという風でキスをする・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・沈んでゆく月のように凝っと一つところにかかったり、又は、迅い閃く稲妻のように、空――眼全体を照したり。生れ落るとから、唇の戦きほか言葉を持たずに来たものは、表し方に限りがなく、海のように深く、曙、黄昏が光りや影を写す天のように澄んだ眼の言語・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・映画館を出てからは、急に尊大に、むっと不気嫌になって、みちみち一言も口をきかない。生れて、いまだ一度も嘘言というものをついたことがないと、躊躇せず公言している。それは、どうかと思われるけれど、しかし、剛直、潔白の一面は、たしかに具有していた・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・ 巻頭に入れた地図は、足利で生まれ、熊谷、行田、弥勒、羽生、この狭い間にしかがいしてその足跡が至らなかった青年の一生ということを思わせたいと思ってはさんだのであった。 関東平野の人たちの中には、この『田舎教師』を手にしているのをそこ・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・日本ならば明治十二年卯歳の生れで数え年四十三になる訳である。生れた場所は南ドイツでドナウの流れに沿うた小都市ウルムである。今のドイツで一番高いゴチックの寺塔のあるという外には格別世界に誇るべき何物をも有たないらしいこの市名は偶然にこの科学者・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
出典:青空文庫