・・・日本の留学生ばかりを弟子にして生活していたのが、大戦の爆発と共に留学生は皆引き上げるし、同時に日本人に対する市民の反感が高まった時に、なんらかのいやな経験をしたのではあるまいか、その後の生計をどうして立てて行ったろうか。これは何かのおりには・・・ 寺田寅彦 「病室の花」
・・・、間もなく死別れて、二度目は田舎から正式に妻を迎え一時神田辺で何か小売商店を営んでいたところ、震災後商売も次第に思わしからず、とうとう店を閉じて郡部へ引移り或会社に雇われるような始末に、お民は兄の家の生計を助けるために始てライオンの給仕女と・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・親は生計のための修業と考えているのに子供は道楽のための学問とのみ合点している。こういうような訳で道楽の活力はいかなる道徳学者も杜絶する訳にいかない。現にその発現は世の中にどんな形になって、どんなに現れているかと云うことは、この競争劇甚の世に・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・然らば則ち夫婦家に居るは其苦楽を共にするの契約なるが故に、一家貧にして衣食住も不如意なれば固より歌舞伎音曲などの沙汰に及ぶ可らず、夫婦辛苦して生計にのみ勉む可きなれども、其勉強の結果として多少の産を成したらんには、平生の苦労鬱散の為めに夫婦・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・かかる人物を政府の区域中に入れて、その不慣なる衣冠をもって束縛するよりも、等しく銭をあたうるならば、これを俗務外に安置して、その生計を豊にし、その精神を安からしむるに若かず。元老院中二、三の学者あるも、その議事これがために色を添うるに非ず。・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・一、私塾の教師は、教授をもって金を得ざれば、別に生計の道を求めざるをえず。生計に時を費せばおのずから塾生の教導を後にせざるをえず。その失、三なり。一、私塾には黜陟・与奪の公権なきがゆえに、人生天稟の礼譲に依頼して塾法を設け、生徒を導・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・非役の輩は固より智力もなく、かつ生計の内職に役せられて、衣食以上のことに心を関するを得ずして日一日を送りしことなるが、二、三十年以来、下士の内職なるもの漸く繁盛を致し、最前はただ杉檜の指物膳箱などを製し、元結の紙糸を捻る等に過ぎざりしもの、・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・細大洩らさず、すべて実際の知見を奨励し、満塾の学生をして即身実業の人とならしめ、かの養蚕の卵より卵を生ずるに等しく、本塾に卒業したる者がただわずかに学校の教師となるか、または役人となりて、孤児・寡婦の生計を学ぶなどいう無気無腸のそしりを免か・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・女大学の末文に、百万銭を出して女子を嫁せしむるは十万銭を出して子を教うるに若かず云々の意を記したるは敬服の至りなれども、我輩は一歩を進めて娘の結婚には衣装万端支度の外に相当の財産分配を勧告する者なり。生計不如意の家は扨置き、筍も資力あらん者・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・ 右の如く、ただ気位のみ高くなりて、さて、その生計はいかんというに、かつて目的あることなし。これまた、士族の気風にして、祖先以来、些少にても家禄あれば、とうてい飢渇の憂なく、もとより貧寒の小士族なれども、貧は士の常なりと自から信じて疑わ・・・ 福沢諭吉 「成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ」
出典:青空文庫