・・・――そう云う体面を重ずるには、何年か欧洲に留学した彼は、余りに外国人を知り過ぎていた。「どうしたのですか?」 仏蘭西の将校は驚いたように、穂積中佐をふりかえった。「将軍が中止を命じたのです。」「なぜ?」「下品ですから、―・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・…… この目覚しいのを見て、話の主人公となったのは、大学病院の内科に勤むる、学問と、手腕を世に知らるる、最近留学して帰朝した秦宗吉氏である。 辺幅を修めない、質素な人の、住居が芝の高輪にあるので、毎日病院へ通うのに、この院線を使って・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・森は早くから外国に留学した薩人で、長の青木周蔵と列んで渾身に外国文化の浸潤った明治の初期の大ハイカラであった。殊に森は留学時代に日本語廃止論を提唱したほど青木よりも一層徹底して、剛毅果断の気象に富んでいた。 青木は外国婦人を娶ったが、森・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・しかも学歴は高等小学校を卒業したばかりで、あなたが大金持の(この言葉は、いやな言葉ですが、ブルジョアとかいう言葉は、いっそういやですし、他に適切な言葉も、私の貧弱な語彙を以華族の当主で、しかもフランス留学とかの派手な学歴をお持ちになっている・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・という魯迅の日本留学時代の事を題材にした長篇と、「お伽草子」という短篇集を作り上げた。その時に死んでも、私は日本の作家としてかなり仕事を残したと言われてもいいと思った。他の人たちは、だらしなかった。 その間に私は二度も罹災していた。「お・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・私のこれから撃つべき相手の者たちの大半は、たとえばパリイに二十年前に留学し、或いは母ひとり子ひとり、家計のために、いまはフランス文学大受け、孝行息子、かせぐ夫、それだけのことで、やたらと仏人の名前を書き連ねて以て、所謂「文化人」の花形と、ご・・・ 太宰治 「如是我聞」
風呂の寒暖計 今からもう二十余年も昔の話であるが、ドイツに留学していたとき、あちらの婦人の日常生活に関係した理化学的知識が一般に日本の婦人よりも進んでいるということに気のついた事がしばしばあった。例えば下・・・ 寺田寅彦 「家庭の人へ」
・・・翌三十五年助教授となり、四十二年応用力学研究のため満二年間独国及び英国へ留学を命ぜられ、これと同時に工学博士の学位を授けられた。四十四年帰朝後工科大学教授に任ぜられ、爾来最後の日まで力学、応用力学、船舶工学等の講座を受持っていた。大正七年三・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・月日がめぐって三十二歳の春ドイツに留学するまでの間におけるコーヒーと自分との交渉についてはほとんどこれという事項は記憶に残っていないようである。 ベルリンの下宿はノーレンドルフの辻に近いガイスベルク街にあって、年老いた主婦は陸軍将官の未・・・ 寺田寅彦 「コーヒー哲学序説」
・・・これは、夏目先生が英国へ留学を命ぜられたために熊本を引上げて上京し、奥さんのおさとの中根氏の寓居にひと先ず落着かれたときのことであるらしい。先生が上京した事をわざわざ知らしてくれたものと思われる。その頃自分は大学二年生であったが、その少し前・・・ 寺田寅彦 「子規自筆の根岸地図」
出典:青空文庫