・・・何でも、番組の数は、皆で七十何番とかあって、それに使う人形が二十幾つとかあると云うような事である。自分は、時々、六畳の座敷の正面に出来ている舞台の方を眺めながら、ぼんやりKの説明を聞いていた。 舞台と云うのは、高さ三尺ばかり、幅二間ばか・・・ 芥川竜之介 「野呂松人形」
・・・ すぐ角を曲るように、樹の枝も指せば、おぼろげな番組の末に箭の標示がしてあった。古典な能の狂言も、社会に、尖端の簇を飛ばすらしい。けれども、五十歩にたりぬ向うの辻の柳も射ない。のみならず、矢竹の墨が、ほたほたと太く、蓑の毛を羽にはいだよ・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ ところが先日、病気で寝ながら、ラジオの所謂「番組」の、はじめから終りまで、ほとんど全部を聞いてみた。聞いてみると、これもやはりアメリカの人たちの指導のおかげか、戦前、戦時中のあの野暮ったさは幾分消えて、なんと、なかなか賑やかなもので、・・・ 太宰治 「家庭の幸福」
・・・たとえば、勅使接待の能楽を舞台背景と番組書だけで見せたり、切腹の場を辞世の歌をかいた色紙に落ちる一片の桜の花弁で代表させたりするのは多少月並みではあるがともかくも日本人らしい象徴的な取り扱い方で、あくどい芝居を救うために有効であると思われた・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
久し振りで女優劇を観る。 番組に一通り目を通しただけでも、いつもながら目先の変化に苦心してある様子が窺われる。一番目「恋の信玄」から始って、チェーホフの喜劇「犬」に至る迄、背景として取入れられている外国の名を列挙したば・・・ 宮本百合子 「印象」
この間田舎へかえる親戚のもののお伴をして珍しく歌舞伎座を観た。十一月のことで、序幕に敵国降伏、大詰に笠沙高千穂を据えた番組であった。 この芝居をみていて深く感じたことは演劇のとりしまりや自粛がどんなに芸術の生命を活かす・・・ 宮本百合子 「“健全性”の難しさ」
・・・各劇場の今週間の番組。曲芸師ケファロの横顔―― ほとんど通り過ぎかけて、私は俄に声を出して云った。「園がある、園が」ビラの一つに、「園」という大活字がたしかに見えた――「――園? 何さ」「桜の園じゃない?」 私のロシア語は、・・・ 宮本百合子 「シナーニ書店のベンチ」
・・・いつの間にやら、その自分の芸術が形なき日本のトゥリスト・ビューロウの定例的余興番組に入れられていたとしたら、彼の熱心は果して如何に感じるであろうか。痛ましくも興味あることに思うのである。 やはり、オリンピックに関してであるが、女学生・・・ 宮本百合子 「日本の秋色」
・・・ 日本全国三十の放送局は中央放送局に統一されていて、番組編成の基準は、「国民文化の表現乃至は聴取者嗜好の反映として見る限りその番組は撩乱の姿を呈している」が、「放送効果の立場よりする聴衆の必然性の吟味或は社会的公正、文化的妥当の見地より・・・ 宮本百合子 「「ラジオ黄金時代」の底潮」
・・・ ラジオの放送番組のことについては、これまで多くの人々から様々の希望も述べられつづけて来ているが、昨今のラジオは、ラジオの特徴、即ちマイクの前でものをいっている側としては、聴きての顔の上にあらわれる刻々の表情の動きをじかに見ないでいって・・・ 宮本百合子 「ラジオ時評」
出典:青空文庫