・・・私のこの疑惑は無残にも的中していた。彼は私にひとしきり、狂喜し感激して見せた揚句、眉間に皺を寄せて、どうしたらいいだろう? という相談を小声で持ちかけたではないか。私は最早、そのようなひまな遊戯には同情が持てなかったので、君も悧巧になったね・・・ 太宰治 「列車」
・・・ これは弱い性格の人間の特徴かも知れませんが、人が余り騒ぐような、また尊敬しているような作品には一応、疑惑を持つ癖があります。 明治文壇では国木田独歩の短篇は非常にうまいと思っております。 フランス文学では、十九世紀だったらばた・・・ 太宰治 「わが半生を語る」
・・・而して此度の事、事甚大にして既に疑惑を挾むべき余地なきが如きも、未だ動かす可らざる証左を得たりといふにあらず。軽々しく人と世との評する所を信じて妄動せんは余の極めて堪へる能はざる所なりしなり。然れども余は他の方面より、余の此事あるが為に老年・・・ 宮本百合子 「「或る女」についてのノート」
・・・有名なえらい人の偽証は無罪とされ、一般の人の偽証は犯罪とされているその点への疑惑が語られていた。裁判が精神的・物質的圧力から必ずしも自由でないことがうかがえる。 目さきの話題だけに注意を奪われずに、わたしたちは、こんにちの反民主的な権力・・・ 宮本百合子 「「委員会」のうつりかわり」
・・・わたしたち一人一人のうちに、日本の全精神現象のうちに、民主の精神は、唐突なその目覚まされかたと同時に感じていた混乱、疑惑を、今日まだ十分に整理できずにいると思える。しかも、おくれた日本の覚醒をめぐる情勢の流れは迅くて、内部にちぐはぐなものを・・・ 宮本百合子 「現代の主題」
・・・世間を疑惑のうちにのこしたまま、労働組合や共産党への毒素のような悪宣伝をみなぎらしたまま――遺族自身がのぞむのぞまないにかかわらず、その屍の最後の一片までを民自党の人民抑圧の政策の利用にゆだねるという悲惨な形で、いまの社会の官僚制度や保険制・・・ 宮本百合子 「権力の悲劇」
・・・ 世界の疑惑の眼がMRAに集りはじめている。去年第一回のMRAの大会には、アメリカの名士が大勢出席したが、本年のコーの大会にはアメリカの上院、下院あわせて六名の議員しか出席しなかった。ブックマン博士がナチスのヒムラーやヘスと特別な関係が・・・ 宮本百合子 「再武装するのはなにか」
・・・彼はその責苦を手記の中に披瀝して、恐らく彼と同じ苦痛と疑惑に陥っているであろう「人々の役に立つよう、現して見よう」と思ったのであった。しかし、この作品は、当時まだジイドが宗教や家庭の日常習慣に抑制されていたのと、当時の象徴派の文学的傾向に従・・・ 宮本百合子 「ジイドとそのソヴェト旅行記」
・・・日本の政府は権力に忠実な人格者英雄をつくることがさきであり、美談ずきなのに、下山氏の事件は、犯罪的な疑惑へと一般の関心を導くことに専念されている。どういう事件であるにしろ、本質は、政府の首きり政策が原因である、と死のモメントから人々の注意が・・・ 宮本百合子 「「推理小説」」
・・・梶は、自分の色紙が栖方の危険を救うだけ、自分へ疑惑のかかるのも感じたが、門標につながる縁もあって彼は栖方に色紙を書いた。「科学上のことはよく僕には分らなくて、残念だが、今は秘密の奪い合いだから、君も相当に危いですね、気をつけなくちゃ。」・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫