・・・ 竹内てるよさんは、カリエスという病が不治であることのため徹也という愛児をおいて家を去り、貧窮の底をくぐって、今は、療養の伴侶であり、友である神谷暢氏と夫婦でない、結婚生活でない共同生活を十三年営んでおられる。「苦しみぬき、もま・・・ 宮本百合子 「『静かなる愛』と『諸国の天女』」
・・・一九二九年から禁酒運動の盛になったこと、文部省はアルコール中毒患者専門の療養所を開いた。キノで酒の体に及ぼす害、子孫に害を及ぼす恐ろしさ、酒が敵で心にもない反革命的行為に誘惑される実例も見せる。禁酒宣伝の示威行列も見たよ、度々。 ――誰・・・ 宮本百合子 「正月とソヴェト勤労婦人」
・・・「文化映画編輯室より」これは真面目な気持で執筆されていますが、ルポルタージュというものの性質がのみこめていなかったため、文化映画の仕事の説明となりました。「療養しながら」ここに語られている心持は実感からのものであり、生活への理解も正しいと思・・・ 宮本百合子 「新女性のルポルタージュより」
・・・ 訳者と私とのつき合いは発展せず、そのまま何年かがすぎ、しかしその人がドイツへゆくとき、又外国で病を得てスイスの療養所にいること、妻子の様子などについて短い消息は、エハガキなどで忘られた時分送られて来た。 それから後の数年の間に、私・・・ 宮本百合子 「生活の道より」
・・・――休暇が一ヵ月半しかないんですもの、かえって又工合がわるいようなら、再び休暇をとって行くことになるでしょう、――療養所の医者の証明でもっと居るわけには行かないんですか?――いいえ。それは出来ません mは疑をはさまず首を振っ・・・ 宮本百合子 「一九二九年一月――二月」
・・・結核療養所になってるところもある。 各工場は、職業組合を通して、めいめい自分たちの「休みの家」を何処かしらに持っている。 職場の連中は、順にその組合の「休みの家」へ出かける。大抵無料だ。けれども、「休みの家」が満員で、順がおそい連中・・・ 宮本百合子 「ソヴェト労働者の夏休み」
・・・成人、大人になった人間の健康状態を良くするという点、それから子供を出来るだけ丈夫に育てること、それには林間学校を拵えたり、工場付属の療養所、それから転地療養、それから現在は病気になっていないけれども、このまま働いて行けば病気になってしまうと・・・ 宮本百合子 「ソヴェト・ロシアの素顔」
・・・翌年、もう節は喉頭結核の宣言をうけ、その後は転々として五年間の療養生活の間に主として短歌に熱中し『アララギ』に「鍼の如く」数百首を発表した。この時代節の歌境は非常に冴えて、きびしく鋭く読者の心に迫る短歌を生んだ。しかし、散文としては終に「土・・・ 宮本百合子 「「土」と当時の写実文学」
・・・働くところの条件がわるくて体を痛めても、もともと生活の必要からではない就職なら、すぐやめてその療養は親がしてくれるという安心もあるだろう。 婦人が職業をもって社会に生きてゆく事が、そのひとを強め高めるのは、その仕事を通じて女が社会でどう・・・ 宮本百合子 「働く婦人の新しい年」
・・・その中に重い病気のためにドイツ語の研究を思い止まって、房州辺の海岸へ転地療養に往くと云うことが書いてあった。私はすぐに返事を遣って慰めた。これは私の手紙としては、最長い手紙で、世間で不治の病と云うものが必ず不治だと思ってはならぬ、安心を得よ・・・ 森鴎外 「二人の友」
出典:青空文庫