・・・幸福主義は初めは個人の感覚的快、不快から発祥する。ハートゥレイによれば道徳的情操は、他の高尚な諸感情とともに、感覚に伴う快、不快の念から連想作用によって発生したものである。彼は同情も、仁愛も利己的な快、不快の感から導き出した。初めは快、不快・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・聖母の中の聖母、ファン・エックの聖母といえども、この母猿の本能的感情より発祥しなくてはぬけがらの聖母である。その哺乳、その愛撫、その敵からの保護の心づかい、私は見ていて涙ぐましくさえなる。向ヶ丘遊園地で見た母猿の如きはその目や、眉や、頬のあ・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・サロンは、諸外国に於いて文芸の発祥地だったではないか、などと言って私に食ってかかる半可通が、私のいうサロンなのだ。世に、半可通ほどおそろしいものは無い。こいつらは、十年前に覚えた定義を、そのまま暗記しているだけだ。そうして新しい現実をその一・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・それが民主主義の発祥の思想だと考えている。 先輩というものがある。そうして、その先輩というものは、「永遠に」私たちより偉いもののようである。彼らの、その、「先輩」というハンデキャップは、殆ど暴力と同じくらいに荒々しいものである。例えば、・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・ ヒューマニズムの発祥点が、現代の社会の特徴によって雑階級的にあること、それぞれの性格的な持物を否定せぬままに前進しようとし、また、せざるを得ない客観的事情もあり、現代ヒューマニズムがプロレタリア・リアリズムと出発を異にするといわれてい・・・ 宮本百合子 「十月の文芸時評」
・・・そもそものれんの発祥した庶民の暮しは、同じ荒っぽさに一きわむき出されているのだが、そういう生活の中では、一山いくらと札の立っている瀬戸物のなかからより出して来る茶碗が実にひどいものになっているという今日の情のこわい肌ざわりしかないのである。・・・ 宮本百合子 「生活のなかにある美について」
・・・人間性を意志的に有にせんとする意欲から発祥している、「義理人情という秩序」に対して意志的に無になろうとするならば、その人は先ず第一に芸術家であることを廃業しなければならないであろう。近松は、あれほど沢山の浄瑠璃を書かざるを得なかった程、義理・・・ 宮本百合子 「「迷いの末は」」
出典:青空文庫