・・・ いやでござりますともさすがに言いかねて猶予う光代、進まぬ色を辰弥は見て取りて、なお口軽に、私も一人でのそのそ歩いてはすぐに飽きてしまってつまらんので、相手欲しやと思っていたところへここにおいでなさったのはあなたの因果というもの、御迷惑・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・れ候わば大違いに候、妻のことに候、あの言葉少なき女が貞夫でき候て以来急に口数多く相成り近来はますますはげしく候、そしてそのおしゃべりの対手が貞夫というに至っては実に滑稽にござ候、先夜も次の間にて貞夫を相手に何かわからぬことを申しおり候間小生・・・ 国木田独歩 「初孫」
・・・ それに夫婦生活には必ず、倦怠期があるし、境遇上に不幸が襲うし、相手にそれほどでもなかったという期待はずれが生じるものだ。そういうとき、本当に愛し合ったいろいろの思い出は愛を暖め直すし、またあきらめがつく。あれだけ愛したのだものをと思わ・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・二人はお互いに、相手の顔や身体を眺めあった。老人は、鮮人に共通した意気の揚らない顔と、表情とを持っていた。彼は鮮人と云えば、皆同じようなプロフィルと表情を持っているとしか見えない位い、滅多に接近したことがなかった。彼等の顔には等しく、忍従し・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・釣船頭というものは魚釣の指南番か案内人のように思う方もあるかも知れませぬけれども、元来そういうものじゃないので、ただ魚釣をして遊ぶ人の相手になるまでで、つまり客を扱うものなんですから、長く船頭をしていた者なんぞというものはよく人を呑込み、そ・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・ 俺は相手から顔をそむけて、「バカ! 共産党が泣くかい。」 と云った。 箒。ハタキ。渋紙で作った塵取。タン壺。雑巾。 蓋付きの茶碗二個。皿一枚。ワッパ一箇。箸一ぜん。――それだけ入っている食器箱。フキン一枚。土瓶。湯呑茶・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・新聞の標題を極め込んだれど実もってかの古大通の説くがごとくんば女は端からころりころり日の下開山の栄号をかたじけのうせんこと死者の首を斬るよりも易しと鯤、鵬となる大願発起痴話熱燗に骨も肉も爛れたる俊雄は相手待つ間歌川の二階からふと瞰下した隣の・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・そこは地方から上京するなじみの客をおもに相手としているような家で、入れかわり立ちかわり滞在する客も多い中に、子供を連れながら宿屋ずまいする私のようなものもめずらしいと言われた。 外国の旅の経験から、私も簡単な下宿生活に慣れて来た。それを・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・フィロセヌスがその詩を読んでしまいますと、ディオニシアスは、どうだ、それでもまだ悪いというか、と言わぬばかりに、相手の顔を見下しました。 するとフィロセヌスは、何にも言わずに、くるりと獄卒の方を向いて、「おい、もう一度牢屋へ入れてく・・・ 鈴木三重吉 「デイモンとピシアス」
・・・(乙、目を雑誌より放し、嘲弄の色を帯びて相手を見る。甲、両手を上沓に嵌御覧よ。あの人の足はこんなに小さいのよ。そして歩き付きが意気だわ。お前さんまだあの人の上沓を穿いて歩くとこは見たことがないでしょう。御覧よ・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
出典:青空文庫