・・・しかし彼は、その間際になっても、ピシアスは決してうそをついたのではない、ただ、やむをえない事情でおくれたのだと信じていました。 すると、そこへ、ピシアスがひょいとかえってきました。ピシアスはデイモンの手を取って、ああ、丁度間に合ってよか・・・ 鈴木三重吉 「デイモンとピシアス」
・・・死ぬる間際まで嘘を吐いていた。 老人は今、病床にある。遊びから受けた病気であった。老人には暮しに困らぬほどの財産があった。けれどもそれは、遊びあるくのには足りない財産であった。老人は、いま死ぬることを残念であるとは思わなかった。ほそぼそ・・・ 太宰治 「逆行」
・・・いは、御承知のように、この津軽地方の模範教員として、勲章までいただいて居りますし、それに、わたくしどもの死んだ長男は、東京帝大の医科にはいって、もう十年もそれ以上も、昔の話でございますけど、あれが卒業間際に死んだ時には、帝大の先生やら学生さ・・・ 太宰治 「春の枯葉」
・・・死ぬる間際のうわごとの中に、笠井さんの名も出たという。 娘はひとり東京へ帰り、母方の親戚の進歩党代議士、そのひとの法律事務所に勤めているのだという。 母が死んだという事を、言いそびれて、どうしたらいいか、わからなくて、とにかくここま・・・ 太宰治 「メリイクリスマス」
・・・巡査と駅員に守られて一旦乗船したが出船間際に連れ下ろされて行った。ついさっき暴れていたとは別人のようにすごすごと下りて行った後姿が淋しかった。 札幌から大勢の警官に見送られて二十人余り背広服の壮漢が同乗したのが、船でもやはり一緒になった・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・出発の間際に起る繁雑な事情とその予想とがいつも実行を妨げてしまうのであった。人間も渡鳥のように、時節が来るや否や、わけもなく旧巣を捨てて飛去ることができたなら、いかに幸であったろう。昭和十二年丁丑四月稿・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・単に茶代の奮発だけで済む事なら大した苦痛ではないが、一度び奮発すると、そのお礼としてはいざ汽車へ乗って帰ろうという間際なぞに極って要りもせぬ見掛ばかり大きな土産物をば、まさか見る前で捨てられもせず、帰りの道中の荷厄介にと背負い込せられる。日・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・兎に角一同自動車に乗ろうとする間際になって、ふと震災後向島はどんなになっているだろうと言うような事から、始めて車を東に向けさせることにしたが、さて吾妻橋を渡り枕橋を過ると、またしても行先が定まらないので、已むことを得ず百花園という事にきめた・・・ 永井荷風 「百花園」
・・・ランスロットはその日の試合に、二十余人の騎士を仆して、引き挙ぐる間際に始めてわが名をなのる。驚く人の醒めぬ間を、ラヴェンと共に埒を出でたり。行く末は勿論アストラットじゃ」と三日過ぎてアストラットに帰れるラヴェンは父と妹に物語る。「ランス・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・柩の門を出ようとする間際に駈けつけた余が、門側に佇んで、葬列の通過を待つべく余儀なくされた時、余と池辺君とは端なく目礼を取り換わしたのである。その時池辺君が帽を被らずに、草履のまま質素な服装をして柩の後に続いた姿を今見るように覚えている。余・・・ 夏目漱石 「三山居士」
出典:青空文庫