・・・ああ、眠い。このまま眠って、永遠に眼が覚めなかったら、僕もたすかるのだがなあ。もし、もし。殺せ! うるさい! あっちへ行け!奥田教師、上手より、うろうろ登場。 あ、おくさん! どうしたんです、これあ。 あ・・・ 太宰治 「春の枯葉」
・・・あかつきばかり憂きものはなし、とは眠いうらみを述べているのではない。くらきうち眼さえて、かならず断腸のこと、正確に在り。大西郷は、眼さむるとともに、ふとん蹴ってはね起きてしまったという。菊池寛は、午前三時でも、四時でも、やはり、はね起き、而・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
・・・蒸し暑い、蚊の多い、そしてどことなく魚臭い夕靄の上を眠いような月が照らしていた。 貴船神社の森影の広場にほんの五六人の影が踊っていた。どういう人たちであったかそれはもう覚えていない。私にはただなんとなくそれがおとぎ話にあるようなさびしい・・・ 寺田寅彦 「田園雑感」
・・・勿論疲れた眠い顔や、中にはずいぶん緊張した顔もあるにはあったろうが、別にそれがために今のように不愉快な心持はしなかった。人種の差から免れ難い顔の道具の形や居ずまいだけがこのような差別の原因であろうか、何かもっとちがったところに主要な原因があ・・・ 寺田寅彦 「電車と風呂」
・・・という、長くゆるやかに引き延ばしたアダジオの節回しを聞いていると、眠いようなうら悲しいようなやるせのないような、しかしまた日本の初夏の自然に特有なあらゆる美しさの夢の世界を眼前に浮かばせるような気のするものであった。 これで対照されてい・・・ 寺田寅彦 「物売りの声」
・・・ だるい、ものうい、眠い、真夜中のうだるような暑さの中に、それと似てもつかない渦巻が起った。警官が、十数輛の列車に、一時に飛び込んで来た。 彼は全身に悪寒を覚えた。 恐愕の悪寒が、激怒の緊張に変った。匕首が彼の懐で蛇のように・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・ 命ぜられた品をとって渡すと、顔ほどは美しくない彼女の二つの手は、眠い猫のようにすうっと又エプロンの上に休んで仕舞う。 さほ子は、困った眼付で、時々其手の方を眺た。「――まあ仕方がない。様子が判ったらやるようになるだろう」 ・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・ 私は眠い。一昨日那須温泉から帰って来、昨日一日買いものその他に歩き廻って又戻って行こうとしているのだから。それに窓外の風景もまだ平凡だ。僅かとろりとした時、隣りの婆さんが、後の男に呼びかけた。「あのう――白岡はまだよっぽど先でござ・・・ 宮本百合子 「一隅」
・・・私は眠いような、ランプが大変明るくていい気持のような工合でぼんやりテーブルに顎をのっけていたら、急に、高村さんの方で泥棒! 泥棒! と叫ぶ男の声がした。すぐ、バリバリと垣根のやぶれる音がした。母が突嗟に立って、早く雨戸をおしめ、抑えつけた緊・・・ 宮本百合子 「からたち」
・・・ 読みかけて居た本など、いきなりバタリと伏せ「眠い! 迚も眠い!」と、駄々っ子のように急に眠たがるYの様子を思い浮べ、笑い乍ら云ったのだが、女中には気持通ぜず。彼女は、飯茶碗を胸に高く持って坐ったなり子供らしくツクン、ツクンする・・・ 宮本百合子 「木蔭の椽」
出典:青空文庫