・・・それから色色な秘密らしい口供をしたり、又わざと矛盾する口供をしたりして、予審を二三週間長引かせた。その口供が故意にしたのであったと云う事は、後になって分かった。 或る夕方、女房は檻房の床の上に倒れて死んでいた。それを見附けて、女の押丁が・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・ロレンツのごとき優れた老大家は疾くからこの問題に手を附けて、色々な矛盾の痛みを局部的の手術で治療しようとして骨折っている間に、この若い無名の学者はスイスの特許局の一隅にかくれて、もっともっと根本的な大手術を考えていた。病の根は電磁気や光より・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・順序は矛盾しましたが、広義の教育、殊に、徳育とそれから文学の方面殊に、小説戯曲との関係連絡の状態についてお話致します。日本における教育を昔と今とに区別して相比較するに、昔の教育は、一種の理想を立て、その理想を是非実現しようとする教育である。・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・かかる矛盾的自己同一の形式によって、我々の自己の自覚的存在が考えられるのである。世界の内にあるとともに、いつも世界を越えている。かかる内在即超越、超越即内在の形式によって、一度的なる唯一的自己、歴史的自己というものが考えられるのである。自覚・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・その深遠な理由は、思想が人間性の苦悩の底へ、無限に深くもぐりこんで抜けないほどに根を持つて居るのと、多岐多様の複雑した命題が、至るところで相互に矛盾し、争闘し、容易に統一への理解を把握することができないこと等に関聯して居る。ニイチェほどに、・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・に忠実だったようだが、一方には実は大矛盾があったんだ。即ち大名誉心さ。……文壇の覇権手に唾して取るべしなぞと意気込んでね……いやはや、陋態を極めて居たんだ。 その中に、人生問題に就て大苦悶に陥った事がある。それは例の「正直」が段々崩され・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・この世界は苦である、この世界に行わるるものにして一として苦ならざるものない、ここはこれみな矛盾である。みな罪悪である。吾等の心象中微塵ばかりも善の痕跡を発見することができない。この世界に行わるる吾等の善なるものは畢竟根のない木である。吾等の・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・ 愛とか幸福とか、いつも人間がこの社会矛盾の間で生きながら渇望している感覚によって、私たちがわれとわが身をだましてゆくことを、はっきり拒絶したいと思います。愛が聖らかであるなら、それは純潔な怒りと憎悪と適切な行動に支えられたときだけです・・・ 宮本百合子 「愛」
・・・「こないだ太陽を見たら、君の役所での秩序的生活と芸術的生活とは矛盾していて、到底調和が出来ないと云ってあったっけ。あれを見たかね。」「見た。風俗を壊乱する芸術と官吏服務規則とは調和の出来ようがないと云うのだろう。」「なるほど、風・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・に擬しているかも知れないが、そのような徹底は恐らく矛盾を意識しない無知な妥協の安逸か、あるいは物の見方や扱い方の凝固に過ぎないだろう。――彼はまた所有の欲望を嘲って、自分の家庭の経験より見ても所有は不可能だと言う。これがまた彼に所有の要求の・・・ 和辻哲郎 「転向」
出典:青空文庫