・・・まして柑類の木の茂った、石垣の長い三角洲はところどころに小ぢんまりした西洋家屋を覗かせたり、その又西洋家屋の間に綱に吊った洗濯ものを閃かせたり、如何にも活き活きと横たわっていた。 譚は若い船頭に命令を与える必要上、ボオトの艫に陣どってい・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・するとお敏はしばらくの間、蒼黒く石垣を浸している竪川の水を見渡して、静に何か口の内で祈念しているようでしたが、やがてその眼を新蔵に返すと、始めて、嬉しそうに微笑して、「もうここまで来れば大丈夫でございますよ。」と、囁くように云うじゃありませ・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・ その人は、大きな声で泣きつづけている妹たちをこわきにかかえたまま、どんどん石垣のある横町へと曲がって行くので、ぼくはだんだん気味が悪くなってきたけれども、火事どころのさわぎではないと思って、ほおかぶりをして尻をはしょったその人の後ろか・・・ 有島武郎 「火事とポチ」
・・・ 弥生の末から、ちっとずつの遅速はあっても、花は一時に咲くので、その一ならびの塀の内に、桃、紅梅、椿も桜も、あるいは満開に、あるいは初々しい花に、色香を装っている。石垣の草には、蕗の薹も萌えていよう。特に桃の花を真先に挙げたのは、むかし・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・貴女の内へ遊びに行くと、いつも帰りが遅くなって、日が暮れちゃ、あの濠端を通ったんですがね、石垣が蒼く光って、真黒な水の上から、むらむらと白い煙が、こっちに這いかかって来るように見えるじゃありませんか。 引込まれては大変だと、早足に歩行き・・・ 泉鏡花 「女客」
お城の奥深くお姫さまは住んでいられました。そのお城はもう古い、石垣などがところどころ崩れていましたけれど、入り口には大きな厳めしい門があって、だれでも許しがなくては、入ることも、また出ることもできませんでした。 お城は、さびしいと・・・ 小川未明 「お姫さまと乞食の女」
・・・船虫が石垣の間を出たり入ったりしている。 河岸倉の庇の下に屋台店が出ている。竹輪に浅蜊貝といったような物を種にして、大阪風の切鮨を売っている。一銭に四片というのを、私は六片食って、何の足しにということはなしに二銭銅貨で五厘の剰銭を取った・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・言っておいてこちらを振り向くでもなく、眼はやはり遠い眺望へ向けたままで、さもやれやれといったふうに石垣のはなのベンチへ腰をかけた。―― 町を外れてまだ二里ほどの間は平坦な緑。I湾の濃い藍が、それのかなたに拡がっている。裾のぼやけた、そし・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・もし止まる余裕がなかったら惰力で自分は石垣から飛び下りなければならなかった。しかし飛び下りるあたりに石があるか、材木があるか、それはその石垣の出っ鼻まで行かねば知ることができなかった。非常な速さでその危険が頭に映じた。 石垣の鼻のザラザ・・・ 梶井基次郎 「路上」
・・・小川の水上の柳の上を遠く城山の石垣のくずれたのが見える。秋の初めで、空気は十分に澄んでいる、日の光は十分に鮮やかである。画だ! 意味の深い画である。 豊吉の目は涙にあふれて来た。瞬きをしてのみ込んだ時、かれは思わはずその涙をはふり落とし・・・ 国木田独歩 「河霧」
出典:青空文庫