・・・朝の天気はまんまるな天際の四方に白雲を静めて、洞のごとき蒼空はあたかも予ら四人を中心としてこの磯辺をおおうている。単純な景色といわば、九十九里の浜くらい単純な景色はなかろう。山も見えず川も見えずもちろん磯には石ころもない。ただただ大地を両断・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・ それから、幾年もたってからです。 ある日のこと、猟師たちが、幾そうかの小舟に乗って沖へ出ていきました。真っ青な北海の水色は、ちょうど藍を流したように、冷たくて、美しかったのであります。 磯辺には、岩にぶつかって波がみごとに砕け・・・ 小川未明 「黒い人と赤いそり」
・・・ゆり殿が赤児抱きて磯辺に立てるを視しは、われには昨日のようなる心地す」老婦は嘆息つきて、「幸助殿今無事ならば何歳ぞ」と問う。「紀州よりは二ツ三ツ上なるべし」さりげなく答えぬ。「紀州の歳ほど推しがたきはあらず、垢にて歳も埋れはてし・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・浅虫というところまで村々皆磯辺にて、松風の音、岸波の響のみなり。海の中に「ついたて」めきたる巌あり、その外しるすべきことなし。小湊にてやどりぬ。このあたりあさのとりいれにて、いそがしぶる乙女のなまじいに紅染のゆもじしたるもおかしきに、いとか・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・きのうの大船のものにちがいない、と気附いたのである。磯辺に出て、かなたこなたを見廻したが、あの帆掛船の影も見えず、また、他に人のいるけはいもなかった。引返して村へ駈けこんで、安兵衛という人にたのみ、奇態なものを見つけたゆえ、参り呉れるよう、・・・ 太宰治 「地球図」
・・・ ナヴァラナが磯辺で甲斐甲斐しく海獣の料理をする場面も興味の深いものである。そこいらの漁師の神さんが鮪を料理するよりも鮮やかな手ぶりで一匹の海豹を解きほごすのであるが、その場面の中でこの動物の皮下に蓄積された真白な脂肪の厚い層を掻き取り・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
・・・興津を過ぐる頃は雨となりたれば富士も三保も見えず、真青なる海に白浪風に騒ぎ漁る船の影も見えず、磯辺の砂雨にぬれてうるわしく、先手の隧道もまた画中のものなり。 此処小駅ながら近来海水浴場開けて都府の人士の避暑に来るが多ければ次第に繁昌する・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・爺さんは大喜びで、さっそく細君携帯で仏蘭西の大磯辺に出かけます。するとそこに細君と年齢からその他の点に至るまで夫婦として、いかにも釣り合のいい男が逗留していまして細君とすぐ懇意になります。両人は毎日海の中へ飛び込んでいっしょに泳ぎ廻ります。・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
出典:青空文庫