・・・夫婦仲の好かった事は、元より云うまでもないでしょうが、殊に私が可笑しいと同時に妬ましいような気がしたのは、あれほど冷静な学者肌の三浦が、結婚後は近状を報告する手紙の中でも、ほとんど別人のような快活さを示すようになった事でした。「その頃の・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・久保田君の芸術は久保田君の生活と共にこの特色を示すものと云うべし。久保田君の主人公は常に道徳的薄明りに住する閭巷無名の男女なり。是等の男女はチエホフの作中にも屡その面を現せども、チエホフの主人公は我等読者を哄笑せしむること少しとなさず。久保・・・ 芥川竜之介 「久保田万太郎氏」
・・・なぜならば私生児の数が多きに過ぎたならば、ここにそれを代表する生活と思想とが生まれ出て、第四階級なる生みの親に対して反駁の勢いを示すであろうから。 そして実際私生児の希望者は続々として現われ出はじめた。第四階級の自覚が高まるに従ってこの・・・ 有島武郎 「片信」
・・・これは境遇と性質とから来ているので、晩年にはおいおい練れて、広い襟懐を示すようになった。ことにおもしろがったり喜んだりする時には、私たちが「父の笑い」と言っている、非常に無邪気な善良な笑い方をした。性質の純な所が、外面的の修養などが剥がれて・・・ 有島武郎 「私の父と母」
・・・腮が動く、目が光って来た、となると、擬勢は示すが、もう、魚の腹を撲りつけるほどの勇気も失せた。おお、姫神――明神は女体にまします――夕餉の料に、思召しがあるのであろう、とまことに、平和な、安易な、しかも極めて奇特な言が一致して、裸体の白い娘・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・が、遠くの掛軸を指し、高い処の仏体を示すのは、とにかく、目前に近々と拝まるる、観音勢至の金像を説明すると言って、御目、眉の前へ、今にも触れそうに、ビシャビシャと竹の尖を振うのは勿体ない。大慈大悲の仏たちである。大して御立腹もあるまいけれども・・・ 泉鏡花 「七宝の柱」
・・・ 奈々子は父の手を取ってしきりに来て見よとの意を示すのである。父はただ気が弱い。口で求めず手で引き立てる奈々子の要求に少しもさからうことはできない。父は引かるるままに三児のあとから表にある水鉢の金魚を見にいった。五、六匹死んだ金魚は外に・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・に伴ふ 犬山道節火遁の術は奇にして蹤尋ねかたし 荒芽山畔日将にしずまんとす 寒光地に迸つて刀花乱る 殺気人を吹いて血雨淋たり 予譲衣を撃つ本意に非ず 伍員墓を発く豈初心ならん 品川に梟示す竜頭の冑 想見る当年怨毒の深きを・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・今あとで坂本さんが出て土佐言葉の標本を諸君に示すかも知れませぬ。ずいぶん面白い言葉であります。仮名で書くのですから、土佐言葉がソックリそのままで出てくる。それで彼女は長い手紙を書きます。実に読むのに骨が折れる。しかしながら私はいつでもそれを・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・畢竟、作家得意の観察から入り、深く人生に触れんとする努力から斯く異った態度を示すのである。是等の異った作家が各々異った意義と形の上で異った印象を人に与うるのに異論がない。 故に、各派の芸術が主張する、主義、態度、即ち人生の批評に関しては・・・ 小川未明 「若き姿の文芸」
出典:青空文庫