・・・さもなければ我我はとうの昔に礼譲に富んだ紳士になり、世界も亦とうの昔に黄金時代の平和を現出したであろう。 瑣事 人生を幸福にする為には、日常の瑣事を愛さなければならぬ。雲の光り、竹の戦ぎ、群雀の声、行人の顔、――あらゆる・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・いに本朝に行われ、名門豪戸競うて之を玩味し給うとは雖も、その趣旨たるや、みだりに重宝珍器を羅列して豪奢を誇るの顰に傚わず、閑雅の草庵に席を設けて巧みに新古精粗の器物を交置し、淳朴を旨とし清潔を貴び能く礼譲の道を修め、主客応酬の式頗る簡易にし・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・例えば従順と倨傲と、あるいは礼譲とブルタリティと、二つの全く相反するものが互いに密に混合して、渾然としたものに出来上がったとでも云ったらよいか。これが邪魔になって、私はどうしてもこの階級の人達に対して親しみを感じる訳に行かない。 それで・・・ 寺田寅彦 「雑記(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・一、私塾には黜陟・与奪の公権なきがゆえに、人生天稟の礼譲に依頼して塾法を設け、生徒を導くの外、他に方便なし。人の義気・礼譲を鼓舞せんとするには、己れ自からこれに先だたざるべからず。ゆえに私塾の教師は必ず行状よきものなり。もし然らずして教・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・古語に衣食足りて礼譲興ると言う。婦人に資力なきは喩えば衣食足らざるものゝ如し。父母たる者が之に財産を分与するは、我愛女に衣食を豊にして夫婦の礼を知らしむるの道なりと知る可し。但し婦人に財産を与えても自から之を処理するの法を知らざれば、幾千万・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・藤村が、文学者の中に文学を理解しない者を発生させている時代的文化の貧困について語らなかったのは、あるいは一つの礼譲からであったろうか。〔一九三七年二月〕 宮本百合子 「「大人の文学」論の現実性」
・・・について文壇的な礼譲ある往復書簡体の感想を書かれたことがあった。あの文章は、二人の真中に一つのブランクをおいたままその周囲を廻っている感じであった。ブランクというのは「収穫以前」で作者森山氏は主題の更に重厚な展開のために、主人公のような社会・・・ 宮本百合子 「数言の補足」
・・・また、或る性的生活に対する反省と、革新との意気とが、次第に密に不可抗の中で発育して来た時、誰がそれを、正当に人らしい礼譲と威力とを以て静に強く主張することを「悪」とするだろう。 そして、若し我々が、自分を知り人生の大道に生きようとするだ・・・ 宮本百合子 「深く静に各自の路を見出せ」
・・・勇気、仁恵、礼譲、真誠、忠義、克己、これすべてこの執着の現象である。ただ末世に至って真の精神を忘れ形式に拘泥して卑しむべき武士道を作った。吾人は豪快なる英雄信玄を愛し謙信を好む。白馬の連嶺は謙信の胸に雄荘を養い八つが岳、富士の霊容は信玄の胸・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫