・・・が、おれは莫迦莫迦しかったから、ここには福原の獄もない、平相国入道浄海もいない、難有い難有いとこう云うた。」「そんな事をおっしゃっては、いくら少将でも御腹立ちになりましたろう。」「いや、怒られれば本望じゃ。が、少将はおれの顔を見ると・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・二相はあたかも福原の栄華に驕る平家の如くに咀われた。 伊井公侯を補佐して革命的に日本の文明を改造しようとしたは当時の内閣の智嚢といわれた文相森有礼であった。森は早くから外国に留学した薩人で、長の青木周蔵と列んで渾身に外国文化の浸潤った明・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・そばで一緒にポスターを書いていた五高の福原も、筆をほうりだしてそっちへゆくと、三吉はひとりになってしまう。「――勿論、貴公らがだナ、ボルだのアナだのと、理想をいうのはけっこうですよ。しかし、しかし――まぁ、わしのいうことをきくがええ、し・・・ 徳永直 「白い道」
・・・二博士が余の意見を当局に伝えたる結果として、同日午後に、余はまた福原専門学務局長の来訪を受けた。局長は余に文部省の意志を告げ、余はまた局長に余の所見を繰返して、相互の見解の相互に異なるを遺憾とする旨を述べ合って別れた。 翌十二日に至って・・・ 夏目漱石 「博士問題の成行」
出典:青空文庫