・・・ かかる際にお花と源造に漢書の素読、数学英語の初歩などを授けたが源因となり、ともかく、遊んでばかりいてはかえってよくない、少年を集めて私塾のようなものでも開いたら、自分のためにも他人のためにもなるだろうとの説が人々の間に起こって、兄も無・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・ まさかこの小ぽけな島、馬島という島、人口百二十三の一人となって、二十人あるなしの小供を対手に、やはり例の教員、然し今度は私塾なり、アイウエオを教えているという事は御存知あるまい。無いのが当然で、かく申す自分すら、自分の身が流れ流れて思・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ 強て何か話が無いかとお尋ねならば、仕方がありません、わたくしが少時の間――左様です、十六七の頃に通学した事のある漢学や数学の私塾の有様や、其の頃の雑事や、同じ学舎に通った朋友等の状態に就いてのお話でも仕て見ましょう。今でも其の時分の面・・・ 幸田露伴 「学生時代」
・・・高等学校時代厳父の死に会い、当時家計豊かでなかったため亡父の故旧の配慮によって岩崎男爵家の私塾に寄食し、大学卒業当時まで引きつづき同家子弟の研学の相手をした。卒業後長崎三菱造船所に入って実地の修業をした後、三十四年に帰京して大学院に入り、同・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・それで Wimbledon Common にあった George Murray という人の私塾のような学校に入って、そこで代数や三角や静力学初歩を教わったが、その頃からもう彼の優れた学才が芽を出して師を感嘆させた。同時にいたずら好きの天分を・・・ 寺田寅彦 「レーリー卿(Lord Rayleigh)」
・・・維新の後私塾を開いて生徒を教授し、後に東京学士会院会員に推挙せられ、ついで東京教育博物館長また東京図書館長に任ぜられ、明治十九年十二月三日享年六十三で歿した。秋坪は旧幕府の時より成島柳北と親しかったので、その戯著小西湖佳話は柳北の編輯する花・・・ 永井荷風 「上野」
・・・ また今の学者を見るに、維新以来の官費生徒はこれを別にし、天保年間より、漢学にても洋学にても学問に志して、今日国の用をなす者は、たいがい皆私費をもって私塾に入り、人民の学制によって成業したる者多し。今日においても官学校の生徒と私学校の生・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・一、古来、日本にて学者士君子、銭を取りて人に教うるを恥とし、その風をなせるがゆえに、私塾にて些少の受教料を取るも大いに人の耳目を驚かす。かつ大志を抱くものは往々貧家の子に多きものなれども、衣食にも差支うるほどにて、とても受教の金を払うべ・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・ 今日にいたるまで、余が衣食住に苦しまずして独立勝手次第の生活をなし、なおその上に私塾維持のためにも、社員とともに多少の金を費したるその出処を尋ぬれば、商売に儲けたるに非ず、月給に貰うたるに非ず、いわんや祖先の遺産においてをや。本来無一・・・ 福沢諭吉 「成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ」
・・・ 父親は、ケムブリッジ大学を卒業し、ひとから未来を属望され、自分も大いに活動する気でいたところが、彼の盲滅法な性質から、深い考えもなく或る私塾を開いている牧師の娘と恋に落ち、結婚したまま有耶無耶に六年間舅の助手で過してしまいました。舅の・・・ 宮本百合子 「「母の膝の上に」(紹介並短評)」
出典:青空文庫