・・・、何を楽しみでかくも働くことかと問われそうで問う人もなく、感心な女とほめられそうで別に評判にも上らず、『いつもご精が出ます』くらいの定まり文句の挨拶をかけられ『どういたしまして』と軽く応えてすぐ鼻唄に移る、昨日も今日もかくのごとく、かくて春・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・と、さらに他の号外に移る。 ――戦死者中福井丸の広瀬中佐および杉野兵曹長の最後はすこぶる壮烈にして、同船の投錨せんとするや、杉野兵曹長は爆発薬を点火するため船艙におりし時、敵の魚形水雷命中したるをもって、ついに戦死せるもののごとく、広瀬・・・ 国木田独歩 「号外」
・・・初めは恋愛から入って、生活と歳月の移るにしたがって、人生の苦渋にもまれ、鍛えられて、もっと大きな、自由な、地味なしんみの、愛に深まっていく。恋愛よりも、親の愛、腹心の味方の愛、刎頸の友の愛に近いものになる。そして背き去ることのできない、見捨・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・この後とても世代の移るにつけいろいろな説がつみたされていくであろう。 が恋愛とは何であるかということを概念的にきめてかかることはさまで大事なことではない。むしろ自分自身の異性への要求と、恋愛の体験とによって自らこの問いをさぐっていき、自・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・時刻が相応に移る。いかに物好な殿にせよ長くご覧になっておらるる間には退屈する。そこで鱗なら鱗、毛なら毛を彫って、同じような刀法を繰返す頃になって、殿にご休息をなさるよう申す。殿は一度お入りになってお茶など召させらるる。準備が尊いのはここで。・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・或場処は路が対岸に移るようになっているために、危い略※に片手をかけて今や舟を出そうとしていながら、片手を挙げて、乗らないか乗らないかといって人を呼んでいる。その顔がハッキリ分らないから、大噐氏は燈火を段と近づけた。遠いところから段と歩み近づ・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・と、藤さんは笑いながら自分の隣へ移る。「兄さん、もっと真っ直ぐ」「私の顔が見えるの?」「見えるとも、そら笑ってらあ。やあい」 がたがたと箱を揺ぶる。やがてもったいらしく身構えをして、「はい、写しますよ」とこちらを見詰める・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・十九世紀に移るあたりに、矢張りかかる階段があります。すなわち、この時も急激に変った時代です。一人の代表者を選ぶならば、例えば Gauss. g、a、u、ssです。急激に、どんどん変化している時代を過渡期というならば、現代などは、まさに大過渡・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・ 単衣から袷に移る期間はむずかしい。九月の末から十月のはじめにかけて、十日間ばかり、私は人知れぬ憂愁に閉ざされるのである。私には、袷は、二揃いあるのだ。一つは久留米絣で、もう一つは何だか絹のものである。これは、いずれも以前に母から送って・・・ 太宰治 「服装に就いて」
・・・具体的から抽象的に移る道を明けてやらないで、いきなり純粋な抽象的観念の理解を強いるのは無理である。それよりもこうすればうまく行ける。先ず一番の基礎的な事柄は教場でやらないで戸外で授ける方がいい。例えばある牧場の面積を測る事、他所のと比較する・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
出典:青空文庫