・・・タールの樽が積んである小屋。空地では家を建てるのか人びとが働いていた。 川上からは時どき風が吹いて来た。カサコソと彼の坐っている前を、皺になった新聞紙が押されて行った。小石に阻まれ、一しきり風に堪えていたが、ガックリ一つ転ると、また運ば・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・「ここを登りつめた空地ね、あすこから富士がよく見えたんだよ」と自分は言った。 富士がよく見えたのも立春までであった。午前は雪に被われ陽に輝いた姿が丹沢山の上に見えていた。夕方になって陽がかなたへ傾くと、富士も丹沢山も一様の影絵を、茜・・・ 梶井基次郎 「路上」
・・・これは林の奥の古い墓地で苔むす墓が四つ五つ並んでその前にすこしばかりの空地があって、その横のほうに女郎花など咲いていることもあろう。頭の上の梢で小鳥が鳴いていたら君の幸福である。すぐ引きかえして左の路を進んでみたまえ。たちまち林が尽きて君の・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・ 五 じいさんは所在なさに退屈がって、家の前にある三坪ほどの空地をいじった。「あの鍬をやってしまわずに、一挺持って来たらよかったんじゃがな。」「自分が勝手にやっといて、またあとでそんなこと云いよら。」ばあさ・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・ 俺はその時、フト硝子戸越しに、汚い空地の隅ッこにほこりをかぶっている、広い葉を持った名の知れない草を見ていた。四方の建物が高いので、サン/\とふり注いでいる真昼の光が、それにはとゞいていない。それは別に奇妙な草でも何んでもなかったが―・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・源吉が、二日前の雨ですっかり濁って、渦 * * 飯がすむと、棒頭が皆を空地に呼んだ。 まただ!「俺ァ行きたくねえや……」皆んなそう言った。 空地へ行くと、親分や棒頭たちがいた。源吉は縛られ・・・ 小林多喜二 「人を殺す犬」
・・・裏の木戸口から物置の方へ通う空地は台所の前にもいくらかの余裕を見せ、冷々とした秋の空気がそこへも通って来ていた。おげんはその台所に居ながらでも朝顔の枯葉の黄ばみ残った隣家の垣根や、一方に続いた二階の屋根などを見ることが出来た。「おさださ・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・に波をうつと見るまに、その瓦の大部分が、どしんとずりおちる、あわてて外へとび出すはずみに、今の大工場がどどんとすさまじい音をたてて、まるつぶれにたおれて、ぐるり一ぱいにもうもうと土烟が立ち上る、附近の空地へにげようとしてかけ出したものの、地・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・月の末の事で、毎日大風が吹きすさび、雨戸が振動し障子の破れがハタハタ囁き、夜もよく眠れず、私は落ちつかぬ気持で一日一ぱい火燵にしがみついて、仕事はなんにも出来ず、腐りきっていたら、こんどは宿のすぐ前の空地に見世物小屋がかかってドンジャンドン・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・右の方に少しばかり空地があって、その真上に向ヶ岡の寄宿舎が聳えて見える。春の頃など夕日が本郷台に沈んで赤い空にこの高い建物が紫色に浮き出して見える時などは、これが一つの眺めになったくらいのものである。しかし間近く上野をひかえているだけに、何・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
出典:青空文庫