・・・英国の政党が立憲政治の始まった時から二派に分れている。あれは偶然のような必然のような歴史を有しているが相互に相互を研究し啓発すると云う大原則を政治上にうまく応用したものであります。もっともこれは圏外の競争の意味である。そうして、日本の作物が・・・ 夏目漱石 「文壇の趨勢」
・・・軍閥の巨頭袁を、立憲共和の新しい中華民国の大総統に推さざるを得なかったことが、最大の過誤であったという意味のことを孫文が述べているそうだ。中国だけにある悲劇だろうか。日本の一九四五年八月十五日以後に、東久邇の内閣があった、あり得たということ・・・ 宮本百合子 「兄と弟」
・・・臨時政府はツァーの絶対制を立憲政治へこぎつけるまでがせいぜいで、失業と飢との間から、労働者、農民は、真に彼等の生きようとする要求を理解し、組織し、実践する党はどこにあるか。それを理解しはじめた。 ブルジョア民主主義者に苦々しい背負投げを・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
出典:青空文庫