・・・いかなる人の自負心をもつてしても、十九世紀以来の地上で、ニイチェと競争することは絶望である。 ニイチェの著書は、しかしその難解のことに於て、全く我々読者を悩ませる。特に「ツァラトストラ」の如きは、片手に註解本をもつて読まない限り、僕等の・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・ だいたい今まで中学が少な過ぎたために、県で立てたのが二つ、その当時、衆議院議員選挙の猛烈な競争があったが、一人の立候補が、石炭色の巨万の金を投じて、ほとんどありとあらゆる村に中学を寄付したその数が五つ。 こんなわけで、今まで七人も・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・まずい商売だよ。競争者が多過ぎるのだ。お得意の方で、もう追っ附かなくなっている。おれなんぞはいろんな事をやってみた。恥かしくて人に手を出すことの出来ない奴の真似をして、上等の料理屋や旨い物店の硝子窓の外に立っていたこともある。駄目だ。中にい・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・いわんや一国中になお幾多の小区域を分ち、毎区の人民おのおの一個の長者を戴てこれに服従するのみか、つねに隣区と競争して利害を殊にするにおいてをや。 すべてこれ人間の私情に生じたることにして天然の公道にあらずといえども、開闢以来今日に至るま・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・みんなで火口のふちの三十三の石ぼとけにね、バラリバラリとお米を投げつけてね、もうみんな早く頂上へ行こうと競争なんだ。向うの方ではまるで泣いたばかりのような群青の山脈や杉ごけの丘のようなきれいな山にまっ白な雲が所々かかっているだろう。すぐ下に・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・その間へ、銃をとって絶対に戦わなければならないでもない作家、一面には社と社との激烈な競争によって刺戟され、一面には報道陣の戦死としての矜りから死を突破しようとさえする従軍記者でもない作家、謂わば、命を一つめぐってそれをすてるか守るかしようと・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
・・・ 永遠に渇している目には、四本の箸の悲しい競争を見る程の余裕がなかった。 女は最初自分の箸を割って、盃洗の中の猪口を挟んで男に遣った。箸はそのまま膳の縁に寄せ掛けてある。永遠に渇している目には、またこの箸を顧みる程の余裕がない。・・・ 森鴎外 「牛鍋」
・・・そこでわたくしは必死になってあの写真と競争してみる気になったのです。 女。それも分かっていましたの。 男。そこで服を一番いい服屋で拵えさせる。髪をちぢらせる。どうにかして美しくなろうと意気込んで、それと同時にあなたに対しては気違染み・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「最終の午後」
・・・ここでは街々の客観物は彼の二つの視野の中で競争した。 北方の高台には広々とした貴族の邸宅が並んでいた。そこでは最も風と光りが自由に出入を赦された。時には顕官や淑女がその邸宅の石門に与える自身の重力を考えながら自働車を駈け込ませた。時には・・・ 横光利一 「街の底」
・・・なあに競争しよう、比較していただこう。私は恐れはしない、Ci Sono auch' io なあに私だって女優だ。――そこでサラのあてた「バグダッドの王女」をデュウゼも取った。世界の女優はここに競争を開始した。 今宵チュウリンの街を貫ぬく・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
出典:青空文庫