・・・ひとが何かいうと、けッという奇怪な、からす天狗の笑い声に似た不愉快きわまる笑い声を、はばからず発するのである。ゲエテ一点張りである。これとても、ゲエテの素朴な詩精神に敬服しているのではなく、ゲエテの高位高官に傾倒しているらしい、ふしが、無い・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・それは門出の時の泣き顔ではなく、どうした場合であったか忘れたが心からかわいいと思った時の美しい笑い顔だ。母親がお前もうお起きよ、学校が遅くなるよと揺り起こす。かれの頭はいつか子供の時代に飛び返っている。裏の入江の船の船頭が禿頭を夕日にてかて・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・を用いてさまで華あるものとも覚えぬものから句ごとに文ごとにうたゝ活動する趣ありて宛然まのあたり萩原某に面合わするが如く阿露の乙女に逢見る心地す相川それの粗忽しき義僕孝助の忠やかなる読来れば我知らず或は笑い或は感じてほと/\真の事とも想われ仮・・・ 著:坪内逍遥 校訂:鈴木行三 「怪談牡丹灯籠」
・・・ この返答で聴衆が笑い出したと伝えられている。この討論は到底相撲にならないで終結したらしい。 今年は米国へ招かれて講演に行った。その帰りに英国でも講演をやった。その当時の彼の地の新聞は彼の風采と講演ぶりを次のように伝えている。「・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・道太はその日も、しばらくそばについていたが、山にいた時からみると、意識はほとんど完全に恢復されていた。「今どこにいるんだ」兄は道太に尋ねたりした。「ええちょっと人を避けているんで」道太は笑いながら答えた。 道太はここにいてほしい・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・ ――すれちがうとき、女はつれの小娘に肩をぶっつけるようにしてまた笑い声をたてた。ひびく声であった。三吉は橋の袂までいって、すぐあと戻りした。流れのはやさと一緒になって坂をのぼり、熊本城の石垣をめぐって、田甫に沿うた土堤うえの道路にでる・・・ 徳永直 「白い道」
・・・出ているものや、地方興行から帰って来た人たちが、内のものを呼び出して、出入口の戸や壁に倚りかかって話をしている事もあるし、時侯が暑くなると舞台で使う腰掛を持出して、夜昼となく大勢交る交るに腰をかけて、笑い興じていることもあったが、しかし爺さ・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・太十は独で笑いながら懐へ入れて見ると矢張りくるりとなって寝た。鍋の破片へ飯をくれたが食わない。味噌汁をかけてやったらぴしゃぴしゃと甞めた。暫くすると小さいながら尾を動かしてちょろちょろと駈け歩いた。お石が村を立ってから犬は太十の手に飼われた・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・と高らかに誦し了って、からからと笑いながら、室の中なる女を顧みる。 竹籠に熱き光りを避けて、微かにともすランプを隔てて、右手に違い棚、前は緑り深き庭に向えるが女である。「画家ならば絵にもしましょ。女ならば絹を枠に張って、縫いにとりま・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・ 私は笑い出した。涙は雨洩のように私の頬を伝い始めた。私は首から上が火の塊になったように感じた。憤怒! 私は傷いた足で、看守長の睾丸を全身の力を罩めて蹴上げた。が、食事窓がそれを妨げた。足は膝から先が飛び上がっただけで、看守のズボン・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
出典:青空文庫