・・・ つぎには、これは築地の、市の施療院でのことですが、その病院では、当番の鈴木、上与那原両海軍軍医少佐以下の沈着なしょちで、火が来るまえに、看護婦たちにたん架をかつがせなどして、すべての患者を裏手のうめ立て地なぞへうつしておいたのですが、・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・ 二人はこのような話をしながら待っている。築地の根を馬の鈴が下りてゆく。馬を引く女が唄を歌う。 障子を開けてみると、麓の蜜柑畑が更紗の模様のようである。白手拭を被った女たちがちらちらとその中を動く。蜜柑を積んだ馬が四五匹続いて出る。・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・青木さんは、そのデパートの築地の寮から日本橋のお店にかよっているのであるが、収入は、女ひとりの生活にやっとというところ。そこで、田島はその生活費の補助をするという事になり、いまでは、築地の寮でも、田島と青木さんとの仲は公認せられている。・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・ 忘れも致しません、あれは秋のなかば、月の非常にいい夜でございましたが、私は十二時すぎに店をしまいまして、それから大いそぎで築地の或る心易くしている料理屋へ風呂をもらいに行きまして、かえりには、屋台でおそばを食べ、家へ来て勝手口をあけよ・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・魚河岸が築地へうつってからは、いっそう名前もすたれて、げんざいは、たいていの東京名所絵葉書から取除かれている。 ことし、十二月下旬の或る霧のふかい夜に、この橋のたもとで異人の女の子がたくさんの乞食の群からひとり離れて佇んでいた。花を売っ・・・ 太宰治 「葉」
・・・以前は築地でやっていたのですがね。あなたの事は、まえから姉に言っていたのです。泊って来たってかまやしません。」 僕はすぐに出かけ、酔っぱらって、そうして、泊った。姉というのはもう、初老のあっさりしたおかみさんだった。 何せ、借りが利・・・ 太宰治 「眉山」
一 日比谷から鶴見へ 夏のある朝築地まで用があって電車で出掛けた。日比谷で乗換える時に時計を見ると、まだ少し予定の時刻より早過ぎたから、ちょっと公園へはいってみた。秋草などのある広場へ出てみると、カンナや・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・隣席の奥様がその隣席の御主人に「あれはもと築地に居た女優ですよ。うまいわねえ」と賞讃している。このダンサーは後に昔の情夫に殺されるための役割でこの喜劇に招集されたもので、それが殺されるのはその殺人罪の犯人の嫌疑をこの靴磨きの年とった方、すな・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・ 去年の夏築地小劇場のプロ芝居を見物に行ったときには、四十恰好のおばさんが引っ切りなしにチューインガムを噛んでいるのを発見して不思議な感じがしたのであった。 二十年前に大西洋を渡ってニューヨークへ着きホボケンの税関の検閲を受けたとき・・・ 寺田寅彦 「チューインガム」
・・・その辺も道太が十三四のころに住まったことのあるところで、川添いの閑静なところにあったそのころの家も、今はある料亭の別宅になっていたけれど、築地の外まで枝を蔓らしている三抱えもあるような梅の老木は、昔と少しも変わらなかった。 お京はちょう・・・ 徳田秋声 「挿話」
出典:青空文庫