・・・ その時お栄は御弾きをしながら、祖母の枕もとに坐っていましたが、隠居は精根も尽きるほど、疲れ果てていたと見えて、まるで死んだ人のように、すぐに寝入ってしまったとか云う事です。ところがかれこれ一時間ばかりすると、茂作の介抱をしていた年輩の・・・ 芥川竜之介 「黒衣聖母」
・・・ そこで彼は失敗やら成功やら、二十年の間に東京を中心としておもに東北地方を舞台に色んな事をやって見たが、ついに失敗に終わったと言うよりもむしろ、もはや精根の泉を涸らしてしまった。 そして故郷へ帰って来た。漂って来たのではない、実に帰・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・しかし英語だけの本城に生涯の尻を落ちつけるのみならず、櫓から首を出して天下の形勢を視察するほどの能力さえなきものが、いたずらに自尊の念と固陋の見を綯り合せたるごとき没分暁の鞭を振って学生を精根のつづく限りたたいたなら、見じめなのは学生である・・・ 夏目漱石 「作物の批評」
・・・けれども、とうとう精根が尽きて、手が蒟蒻のように弱って、しまいに豚に舐められてしまった。そうして絶壁の上へ倒れた。 健さんは、庄太郎の話をここまでして、だからあんまり女を見るのは善くないよと云った。自分ももっともだと思った。けれども健さ・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・ 農民と都市の勤労者との間にも、同じような離間の方法がとられている。精根つくして自分で米をつくっている農民が、強制供出に応じなければ、刑にふれて牢獄に入れられることになった。供出したがらないには、農業会、統制会、その他の全配給機構への農・・・ 宮本百合子 「現実の必要」
・・・そして、子の母となりながら、妻の永い病に精根つき果てたような良人へ気をかねて、その愛子をのこして家を去る決心にまで追いこまれなければならなかったということも、男の一生にはない女のあわれさであると思う。 ロマン・ローランは、人間の社会にの・・・ 宮本百合子 「『静かなる愛』と『諸国の天女』」
・・・かれは労して功なく精根を尽くしてしまった。かれの衰え行く様は明らかに見える。 今や諧謔の徒は周囲の人を喜ばすためにかれをして『糸くず』の物語をやってもらうようになった、ちょうど戦場に出た兵士に戦争談を所望すると同じ格で。あわれかれの心は・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・それぞれの人はそれぞれの立場においてその精根をつくさねばならぬ。そうして彼が最もよくその自己であり得た時に、彼らは最もよく一つになり得るのである。 吉田文五郎氏の話した若いころの苦心談はこの事を指示していたように思われる。足を使っていた・・・ 和辻哲郎 「文楽座の人形芝居」
出典:青空文庫