・・・女房はまるで縫物をするために生れてきたような女で、いつ見ても薄暗い奥の間にぺたりと坐りこんで針を運ばせていた。糖尿病をわずらってお君の十六の時に死んだ。 女手がなくなって、お君は早くから一人前の大人並みに家の切りまわしをした。炊事、縫物・・・ 織田作之助 「雨」
・・・ 母は益々不機嫌に、「だから始っから、父様さえちゃんとしてとりかえさせておしまいになればいいのに――もう二年だよ、来るたんびに水が出ない、水が出ないって」 母は糖尿病であった。それ故じき癇癪が起り、腹が減り、つまり神経が絶えず焦・・・ 宮本百合子 「海浜一日」
・・・スエ子の糖尿がいい塩梅にこの頃は少しましです。でもずっと注射して居ります。私はオリザニンの注射カムフルの注射で飽きあきしてスエ子の一日に二度の注射を傍目にも重荷のように眺めます。スエ子は目下職業をさがしています。 きのうは、繁治さん、栄・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・スエ子は母がなくなってから糖尿病がひどくなって来て、この頃はアコウディオンを中止で、食餌養生をして居ります。相当意志をつよくやっているのは感心ですが、可哀そうに。私は彼女の音楽について大した幻想は抱いて居りません。 これまでの手紙で忘れ・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 雑誌をかりに来てしゃべっていたエレーナが、年若い糖尿病患者の消耗性で輝やいた眼でターニャを見ながら、 ――お産の仕度にいくら貰えるの? お前さん。と訊いた。 ――誰でも月給の半分まで。……でも九ヵ月牛乳代をくれるんです。・・・ 宮本百合子 「子供・子供・子供のモスクワ」
・・・ 永年糖尿病をもって居られ、そこから生じた複雑な病症で、経過は困難であった。おうちの方々は実に母さん孝行で、峰子さんなどは、自分の家庭とお母さんの看病と、おどろくばかり献身された。長男の鉄夫さんが花嫁をもらわれ、勝彦さんが出征され、松の・・・ 宮本百合子 「白藤」
・・・まさ子は数年来糖尿病で、神経系統に種々故障があるのであった。「――じゃ今日だけ一寸臥ていらっしゃるんじゃなかったのね」「国府津から帰ると悪いのさ――あとさき六日ばかりだね」 耕一や千世子が母の容体につき無頓着そうにしているのが頼・・・ 宮本百合子 「白い蚊帳」
・・・母は一九三四年六月十三日に持病糖尿病から肺エソになって没した。後、母の残した日記を集めて「葭の影」という一冊をこしらえた。一九三五年四月十八日、父の第六十八回目の誕生日に、私が父を気に入りの浜作に招き、その席で「葭の影」という題名を父が思い・・・ 宮本百合子 「中條精一郎の「家信抄」まえがきおよび註」
・・・ 母は数年来重い糖尿病を患っていたが、それを克己的に養生して治すということは性質として出来なかったし、三年前膵臓の膿腫というのをやった時は、誰しも恢復する力が母の体の中にのこっていようとは考えなかった。 それが生きたのであったから、・・・ 宮本百合子 「母」
・・・特に昭和三年、三男英男を失ってから、母は以前にもまして自身の情熱を文章として表現したいという熱望を抱くようになったとともに、既にその頃は糖尿病が重り、視力衰弱して読書執筆については全く不如意な健康状態におかれていたのであった。それにもかかわ・・・ 宮本百合子 「葭の影にそえて」
出典:青空文庫