・・・そして予はいま上代的紅顔の美女に中食をすすめられつついる。予はさきに宿の娘といったが、このことばをふつうにいう宿屋の娘の軽薄な意味にとられてはこまる。 予の口がおもいせいか、娘はますますかたい。予はことばをおしだすようにして、夏になれば・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
・・・ 燃えるような紅顔であったものが、ようやくあかみが薄らいでいる。白い部分は光沢を失ってやや青みを帯んでいる。引き締まった顔がいよいよ引き締まって、眼は何となし曇っている。これを心に悩みあるものと解らないようでは恋の話はできない。 そ・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・ところが社員は恐る恐る刺を通じて早速部屋に通され、粛々如として恭やしく控えてると、やがてチョコチョコと現われたは少くも口髯ぐらい生やしてる相当年配の紳士と思いの外なる極めて無邪気な紅顔の美少年で、「私が森です」と挨拶された時は読売記者は呆気・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・なり 強隣を圧服する果して何の術ぞ 工夫ただ英雄を攪るに在り 『八犬伝』を読むの詩 補 姥雪与四郎・音音乱山何れの処か残燐を吊す 乞ふ死是れ生真なりがたし 薄命紅顔の双寡婦 奇縁白髪の両新人 洞房の華・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・ いわば紅顔可憐だが、しかしやがて眼を覚まして、きっとあたりを見廻した眼は、青み勝ちに底光って、豹のように鋭かった。 その眼つきからつけたわけではなかろうが、名前はひょう吉……。十八歳。 豹吉のは氷河の氷に通じ、意表の表に通ずる・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・当時二十歳、六尺、十九貫五百、紅顔の少年であります。ボートは大変下手でした。先輩ばかりでちいさくなっていました。往復の船中の恋愛、帰ってきたぼくは歓迎会ずくめの有頂天さのあまり、多少神経衰弱だったのです。ぼくが帰国したとき、前年義姉を失った・・・ 太宰治 「虚構の春」
明治二十年代の事である。今この思い出を書こうとしている老学生のまだ紅顔の少年であったころの話である。太平洋からまともにはげしい潮風の吹きつけるある南国の中学にレコードをとどめた有名なストライキのあらしのあった末に英国仕込み・・・ 寺田寅彦 「野球時代」
出典:青空文庫