・・・、他の品位ある多くの芸術は天才的個人的に偏して、衆と共にするということが頗る困難であるから何人にも楽むということが出来ない処がある、茶の湯は奥に高遠の理想を持って居れど、初期に常識的の部分が多く、一の統率者あれば何人も其娯楽を共にすることが・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・沼南統率下の毎日新聞社の末期が惰気満々として一人も本気に働くものがなかったのはこれがためであった。 松隈内閣だか隈板内閣だかの組閣に方って沼南が入閣するという風説が立った時、毎日新聞社にかつて在籍して猫の目のようにクルクル変る沼南の朝令・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・芭蕉の名匠であったゆえんは極端から極端までちがった個性の特長を正当に認識して活躍させた点にあるので、統率者の死後これらが四散しけんかを始めたのはやはり個性のはなはだしい相違から来るのである。 この共同制作が可能であり、また共同によって始・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・ 事実はとにかく、このような連関は鉄道省とそれを統率する内閣とが一つの有機体である以上可能なことである。 いつか自分の手指の爪の発育が目立って悪くなり不整になって、たとえば左の無名指の爪が矢筈形に延びたりするので、どうもおかしいと思・・・ 寺田寅彦 「破片」
・・・自分の出席した四つのコロキウムのそれぞれの雰囲気は学科の性質から来る特徴もあるにはあるであろうが結局はその集会を統率する中心人物の人柄そのものによって濃厚に色づけられているのであった。 次の冬学期には上記の先生方の外に、ヘルメルトの「地・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
・・・自分は芭蕉時代の連句がいかなる統率法によって行なわれたかという事についてなんらの正確な知識をもたないのであるが、少なくも芭蕉の関与したものである限り、いずれも芭蕉自身がなんらかの意味において指揮棒をふるうてできたものと仮定してもおそらくはな・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・芸術家は現実を見とおすことで、現実のあれこれに動かされつつなおそれに追いまくられず、それを人間の多種多様な生の姿として精神のうちに統率する力をもっている。そのような現実の只中に真直に立っている精神の力が、悲劇のうちにもそれが人間生活の真実に・・・ 宮本百合子 「幸福の感覚」
・・・それらの文学愛好者達は、発表の機会を考えてそこに集り、だが必ずしもその統率者に対して人間及作家としての尊敬を全幅的に捧げているとは限らない。或る場合には自分の本性と反撥するものをも感じつつ尚悲しき利害から毅然たる態度も示しかねる自分に自嘲を・・・ 宮本百合子 「今日の文学の鳥瞰図」
・・・あの絵は、何か一つの力で統率されているけれども、あれが割れたら、どんな人間性と芸術性があるのでしょう。絵の批評とすればトンチンカンなのかしれないけれども、私はそう感じました。だから、一方から言えば、あの絵にある不思議な冷たさ、どこか病的なと・・・ 宮本百合子 「第一回日本アンデパンダン展批評」
・・・近代の歴史の担当者として現れたブルジョアジーは、王権を否定して市民の権利を確立すると共に、ルーテルを先頭に立てて、法王に統率され経済的政治的に専制勢力の柱である天主教の仕組を否定した。そして、市民一人一人の精神の内に在る神としてのキリスト教・・・ 宮本百合子 「人間の結婚」
出典:青空文庫