・・・笠井はその総代になっているのだが一人では心細いから仁右衛門も出て力になってくれというのであった。「白痴なことこくなてえば。二両二貫が何高値いべ。汝たちが骨節は稼ぐようには造ってねえのか。親方には半文の借りもした覚えはねえからな、俺らその・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・「じゃア僕ががっかりの総代というのか」と加藤男また奇抜なことをいう。「だから君はわれわれの号外だ。」と中倉翁の言、さらに妙。加藤君この時、椅子から飛び上がって、「さすが、中倉大先生様だ、大いによかろう、がっかりしたところ、大いに・・・ 国木田独歩 「号外」
・・・楠ちゃんにも列席してもらいたいとは思いますが、遠方のことでもあり、それに万事内輪にと思いますから、おまえたち兄妹の総代として鶏ちゃんに出席してもらうことにします。 とうさんがこの新しい方針を選んで進もうとするのは、いろいろ前途を熟考した・・・ 島崎藤村 「再婚について」
子供のころから、お洒落のようでありました。小学校、毎年三月の修業式のときには必ず右総代として校長から賞品をいただくのであるが、その賞品を壇上の校長から手渡してもらおうと、壇の下から両手を差し出す。厳粛な瞬間である。その際、・・・ 太宰治 「おしゃれ童子」
・・・終に記者と士官とが相談して二、三人ずつの総代を出して船長を責める事になった。自分も気が気でないので寐ても居られぬから弥次馬でついて往た。船長と事務長とをさんざん窮迫したけれど既往の事は仕方がない。何でも人夫どもに水を飲ませるのが悪いというの・・・ 正岡子規 「病」
・・・山男大に笑いて二十五文を置き、瓢箪をさげて立ち去り候趣、材木町総代より御届け有之候。」 これを読んだとき、工芸学校の先生は、机を叩いて斯うひとりごとを言いました。「なるほど、紫紺の職人はみな死んでしまった。生薬屋のおやじも死んだと。・・・ 宮沢賢治 「紫紺染について」
・・・小学校の卒業のときは、総代で、東京市の優秀児童ばかりを集めた日比谷の表彰式で、市長からの賞品を貰った。そのとき綺羅を飾った少女たちの間に、村上けい子という最優賞の娘は、質素な紡績絣の着物に色の褪せた海老茶の袴という姿で人々を感動させたという・・・ 宮本百合子 「なつかしい仲間」
出典:青空文庫