・・・が、廓大鏡に覗いて見ると、緑いろをしているのは緑青を生じた金いろだった。わたしはこの一枚の写楽に美しさを感じたのは事実である。けれどもわたしの感じたのは写楽の捉えた美しさと異っていたのも事実である。こう言う変化は文章の上にもやはり起るものと・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・空が曇っているから、海は煮切らない緑青色を、どこまでも拡げているが、それと灰色の雲との一つになる所が、窓枠の円形を、さっきから色々な弦に、切って見せている。その中に、空と同じ色をしたものが、ふわふわ飛んでいるのは、大方鴎か何かであろう。・・・ 芥川竜之介 「MENSURA ZOILI」
・・・丹塗の天狗に、緑青色の般若と、面白く鼻の黄なる狐である。魔とも、妖怪変化とも、もしこれが通魔なら、あの火をしめす宮奴が気絶をしないで堪えるものか。で、般若は一挺の斧を提げ、天狗は注連結いたる半弓に矢を取添え、狐は腰に一口の太刀を佩く。 ・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・ 翌晩も、また翌晩も、連夜の事できっと時刻を違えず、その緑青で鋳出したような、蒼い女が遣って参り、例の孤家へ連れ出すのだそうでありますが、口頭ばかりで思い切らない、不埒な奴、引摺りな阿魔めと、果は憤りを発して打ち打擲を続けるのだそうでご・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・珊瑚の幹をならべ、珊瑚の枝をかわしている上に、緑青をべたべた塗りつけたようにぼってりとした青葉をいただいている。老爺は予のために、楓樹にはいのぼって上端にある色よい枝を折ってくれた。手にとれば手を染めそうな色である。 湖も山もしっとりと・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
・・・椿岳の泥画 椿岳の泥画というは絵馬や一文人形を彩色するに用ゆる下等絵具の紅殻、黄土、丹、群青、胡粉、緑青等に少量の墨を交ぜて描いた画である。そればかりでなく泥面子や古煉瓦の破片を砕いて溶かして絵具とし、枯木の枝を折って筆とした事もあ・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・所々、岩に緑青がふいている。そして、岩は、手を触れると、もろく、ポロ/\ところげ落ちた。三十度以上の急な斜坑を、落ちた岩は、左右にぶつかりながら、下へころころころげて行った。 七百尺に上ると、それから、一寸竪坑の方によって、又、上に行く・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・そのような恥かしくも甘い甘い小市民の生活が、何をかくそう、私にもむりなくできそうな気がして来て、俗的なるものの純粋度、という緑青畑の妖雲論者にとっては頗るふさわしからぬ題目について思いめぐらし、眼は深田久弥のお宅の灯を、あれか、これか、との・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・その山の緑が美しいと来たら、今まで兀山ばっかり見て居た目には、日本の山は緑青で塗ったのかと思われた。ここで検疫があるのでこの夜は碇泊した。その夜の話は皆上陸後の希望ばかりで、長く戦地に居た人は、早く日本の肴が喰いたい、早く日本の蒲団に寝たい・・・ 正岡子規 「病」
・・・湖は緑青よりももっと古びその青さは私の心臓まで冷たくしました。 ふと私は私の前に三人の天の子供らを見ました。それはみな霜を織ったような羅をつけすきとおる沓をはき私の前の水際に立ってしきりに東の空をのぞみ太陽の昇るのを待っているようでした・・・ 宮沢賢治 「インドラの網」
出典:青空文庫