・・・屋台の裏にも山桜の大木三本有之、微風吹き来る度毎に、おびただしく花びらこぼれ飛び散り、落花繽紛として屋台の内部にまで吹き込み、意気さかんの弓術修行者は酔わじと欲するもかなわぬ風情、御賢察のほど願上候。然るに、ここに突如として、いまわしき邪魔・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・春風駘蕩、芳花繽紛トシテ紅靄崖ヲ擁シ、観音ノ台ハ正ニ雲外ニ懸ル。彩霞波ヲ掩ヒ不忍ノ湖ハ頓ニ水色ヲ変ズ。都人士女堵ヲ傾ケ袂ヲ連ネ黄塵一簇雲集群遊ス。車馬旁午シ綺羅絡繹タリ。数騎銜ヲ駢ベ鞍上ニ相話シテ行ク者ハ洋客ナリ。龍蹄砂ヲ蹴ツテ高蓋四輪、輾・・・ 永井荷風 「上野」
・・・故ニ花候ニ当テハ輪蹄陸続トシテ文士雅流俗子婦女ノ別ナク麕集シ蟻列シ、繽紛狼藉人ヲシテ大ニ厭ハシムルニ至ル。シカシテ風雨一過香雲地ニ委ヌレバ十里ノ長堤寂トシテ人ナキナリ。知ラズ我ガ上ノ勝ハ桜花ニ非ズシテ実ニ緑陰幽草ノ侯ニアルヲ。モシソレ薫風南・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・湛然として音なき秋の水に臨むが如く、瑩朗たる面を過ぐる森羅の影の、繽紛として去るあとは、太古の色なき境をまのあたりに現わす。無限上に徹する大空を鋳固めて、打てば音ある五尺の裏に圧し集めたるを――シャロットの女は夜ごと日ごとに見る。 夜ご・・・ 夏目漱石 「薤露行」
出典:青空文庫