・・・う、そういう本質的内在的な理由もあったであろうが、また一方では、はじめはただ各個人の主観的詠嘆の表現であったものが、後に宮廷人らの社交の道具になり、感興や天分の有無に関せずだれも彼もダンスのステップを習うように歌をよむことになって来たために・・・ 寺田寅彦 「俳句の型式とその進化」
・・・すなわち我が邦の人、横行の文字を読み習うるの始めなり。 その後、宝暦明和の頃、青木昆陽、命を奉じてその学を首唱し、また前野蘭化、桂川甫周、杉田いさい等起り、専精してもって和蘭の学に志し、相ともに切磋し、おのおの得るところありといえども、・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾の記」
・・・ さてまた、子を教うるの道は、学問手習はもちろんなれども、習うより慣るるの教、大なるものなれば、父母の行状正しからざるべからず。口に正理を唱るも、身の行い鄙劣なれば、その子は父母の言語を教とせずしてその行状を見慣うものなり。いわんや父母・・・ 福沢諭吉 「中津留別の書」
・・・それからいちばんおしまいには鳥や木や石やいろいろのことを習うのでした。 アラムハラドは長い白い着物を着て学者のしるしの垂れ布のついた帽子をかぶり低い椅子に腰掛け右手には長い鞭をもち左手には本を支えながらゆっくりと教えて行くのでした。・・・ 宮沢賢治 「学者アラムハラドの見た着物」
・・・よく習うんだよ。決して先生を食べてしまったりしてはいかんぞ。」 子供らはよろこんでニヤニヤ笑って口々に、「おとうさん、ありがとう。きっと習うよ。先生を食べてしまったりしないよ。」と言いました。 クねずみはどうも思わず足がブルブル・・・ 宮沢賢治 「クねずみ」
・・・ 若い者に字を習うということが、案外きまりわるくないと分る。やがて、ピョートルの女房も来る。女房が隣りの女房もつれて来る。「――なるほどねえ、私の名はこう書くのかねえ。こうして字を知りゃお前、書きつけがよめなくて、麦をゴマ化されるこ・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェト同盟の文化的飛躍」
・・・ 四年生になると女学校では西洋歴史を習う。初めての時間、西洋史の先生が教室に入って来られた時、三十二人だったかの全生徒の感情を、愕きと嬉しさとでうち靡かせるようなざわめきがあった。 その女学校の女先生が制服のように着ていたくすんだ紫・・・ 宮本百合子 「時代と人々」
・・・「いいえ姉から習うんです。 いつでも千鳥の曲はいいと思ってます。「随分精しいんですねえ。 私琴は弾けないんですよ、 ただ三味線はすきですきくだけですけど、 尺八のいい悪いなんかはわかるほど年を取って居ませんしねえ。・・・ 宮本百合子 「千世子(三)」
・・・いわゆる気分のまぎらしどころであっては、従来の若い働く女性たちが、生活の空虚感からお花でも習う、それと質がちがわなくなってしまうであろう。私たちがもし生活に空虚を感じるときは、決してただそれを紛らす方法ばかりを考えてはいけないと思う。よくそ・・・ 宮本百合子 「働く婦人の新しい年」
・・・それでも母は洋画を習う希望をすてず、上野へ行って規則を調べたりもしたらしいが、当時美術学校は女の生徒を入れないことになっていた。そう云って断られた。けれどもイーストレイキの娘が女で通っているのに、日本の女を入れないのはどういうわけか、西洋人・・・ 宮本百合子 「母」
出典:青空文庫