・・・その六人が六人とも、五十歳以上の老人ばかり揃っていたせいか、まだ春の浅い座敷の中は、肌寒いばかりにもの静である。時たま、しわぶきの声をさせるものがあっても、それは、かすかに漂っている墨の匂を動かすほどの音さえ立てない。 内蔵助は、ふと眼・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・海から吹き揚げる風が肌寒い。 こうなると、人間というものは妙に引け身になるもので、いつまでも一所にいると、何だか人に怪まれそうで気が尤める。で、私は見たくもない寺や社や、名ある建物などあちこち見て廻ったが、そのうちに足は疲れる。それに大・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・八寸、十三貫、すなわち痩せているせいで暑さに強い私は、裸で夜をすごすということは余りなく、どんなに暑くてもきちんと浴衣をきて、机の前に坐っているのだが、八月にはいって間もなくの夜明けには、もう浴衣では肌寒い。ひとびとが宵の寝苦しい暑さをその・・・ 織田作之助 「秋の暈」
池の向うの森の暗さを一瞬ぱっと明るく覗かせて、終電車が行ってしまうと、池の面を伝って来る微風がにわかにひんやりとして肌寒い。宵に脱ぎ捨てた浴衣をまた着て、机の前に坐り直した拍子に部屋のなかへ迷い込んで来た虫を、夏の虫かと思・・・ 織田作之助 「勝負師」
・・・しらじらと明けていた。肌寒いほどであった。私は竹の皮包をさげて外へ出た。「おしまいまで見ていないですぐお帰りになるといいわ」家内は玄関の式台に立って見送り、落ち着いていた。「心得ている。ポチ、来い!」 ポチは尾を振って縁の下から・・・ 太宰治 「畜犬談」
出典:青空文庫