・・・一等室の鶯茶がかった腰掛と、同じ色の窓帷と、そうしてその間に居睡りをしている、山のような白頭の肥大漢と、――ああその堂々たる相貌に、南洲先生の風骨を認めたのは果して自分の見ちがいであったろうか。あすこの電燈は、気のせいか、ここよりも明くない・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・きびらの洗いざらし、漆紋の兀げたのを被たが、肥って大いから、手足も腹もぬっと露出て、ちゃんちゃんを被ったように見える、逞ましい肥大漢の柄に似合わず、おだやかな、柔和な声して、「何か、おとしものでもなされたか、拾ってあげましょうかな。」・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・また、よく肥大した種のいゝ豚を二十頭ばかり持っていた。豚を放てば自分の畠を荒される患いがあった。いゝ豚がよその悪い種と換るのも惜しい。それに彼は、いくらか小金を溜めて、一割五分の利子で村の誰れ彼れに貸付けたりしていた。ついすると、小作料を差・・・ 黒島伝治 「豚群」
・・・山高帽を少し阿弥陀に冠った中年の肥大った男などが大きな葉巻をくわえて車掌台に凭れている姿は、その頃のベルリン風俗画の一景であった。どこかのんびりしたものであったが、日本の電車ではこれが許されない。いつか須田町で乗換えたときに気まぐれに葉巻を・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・いくら逃げても追い駆けて来る体内の敵をまくつもりで最後の奥の手を出してま近な二つの氷盤の間隙にもぐり込もうとするが、割れ目は彼女の肥大な体躯を容れるにはあまりに狭い。この最後の努力でわずかに残った気力が尽き果てたか、見る見るからだの力が抜け・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・それが、はち切れそうに肥大した子房の尻に敷かれて哀れをとどめているのである。 種の保存の任務を果たす前は雄が中央にのさばって雌を片わきに押しよせている。それが、役目がすむと直ちに枯死してしまった、あとは、次の世代を胎んだ雌のひとり天下に・・・ 寺田寅彦 「沓掛より」
・・・ワールブルヒは腎臓でもわるいかと思われるように顔色が悪く肥大していて一向に元気がなかったが、ゴールトシュタインは高年にかかわらず顔色も若々しく明るい上品な感じのする人であった。プランクはこの人に対していつもわざとらしからぬ敬意を表しているよ・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
・・・あの肥大な虫の汁気という汁気はことごとく吸い尽くされなめ尽くされて、ただ一つまみの灰殻のようなものしか残っていなかった。ただあの堅い褐色の口ばしだけはそのままの形をとどめていた。それはなんだか兜の鉢のような格好にも見られた。灰色の壙穴の底に・・・ 寺田寅彦 「簔虫と蜘蛛」
・・・ 子福者小笠原伯爵の何番目かの娘さんが最近スポーツマンであった体躯肥大な某氏と結婚された写真が出ていた。月給は七十円だけれども、豪壮な新邸に住まわれるそうである。一寸名のあるスポーツマンになるといいぜ、就職が楽だぜ。そういう功利的通念は・・・ 宮本百合子 「新しい一夫一婦」
・・・ 芸術座の出しものは「三肥大漢」だった。 エム・オー・エス・ペー・エス劇場では二日の晩に「憤怒」を上演した。 五ヵ年計画が実施されるにつれソヴェトではだんだん劇場の上演目録も変った。 古典的なオペラ・バレーを演じている国立オ・・・ 宮本百合子 「インターナショナルとともに」
出典:青空文庫