・・・昨年、二科から脱退して、新浪漫派とやらいう団体を、お作りになる時だって、私は、ひとりで、どんなに惨めな思いをしていた事でしょう。だって、あなたは、蔭であんなに笑って、ばかにしていたおかた達ばかりを集めて、あの団体を、お作りになったのでござい・・・ 太宰治 「きりぎりす」
有島武郎の作品の中でも最も長い「或る女」は既に知られている通り、始めは一九一一年、作者が三十四歳で札幌の独立教会から脱退し、従来の交遊関係からさまざまの眼をもって生活を批判された年に執筆されている。「或る女のグリンプス・・・ 宮本百合子 「「或る女」についてのノート」
・・・三五年七月、文芸懇話会賞が与えられた直後、授賞者決定に当って審査員の投票では島木健作氏が選に入っていたにもかかわらず、公表されない特別の理由から室生犀星氏と取かえられたことが一般に知られ、佐藤春夫氏が脱退の意を示した事件によって、悉く明らか・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・武田が荒木に「では君がさっさと脱退したらいいじゃないか」と云ったら、其は困る、とねばって解散させたあたり、なかなか昭和文学史の興味ある一頁である。 徳永直は、過去の著作の絶版を新聞に公表した。 話によると、徳永直という名をすてる。そ・・・ 宮本百合子 「一九三七年十二月二十七日の警保局図書課のジャーナリストとの懇談会の結果」
・・・労農芸術家連盟が分裂して脱退派が前衛芸術家同盟を組織したときだって、イデオロギー的理由がちゃんとあった。山川均の労芸を政治的に利用しようとした野心的企てに==山川の政治理論に==賛成のものと不賛成のものとが分れたのだ。コミンテルンで山川均が・・・ 宮本百合子 「ニッポン三週間」
・・・ 俺が、文学報国会なんてものは脱退しろ、とあんなに云ったとき、何てがんばったか。――あなたには外の様子が分らないからって、がんばったんだぜ」 そのときのいやさが忘られないように、重吉はひろ子の口真似をして云った。「そうなのよ。だから・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・ケレンスキー内閣の時分、彼女は社会革命党に属していたが、一九一七年には、地方の革命的鉄道従業員と一緒に、そんな政党からは脱退してしまった。そして、一生懸命、地方に新ソヴェト文化を撒きひろげるため、シベリア国立出版所の書記となって働き始めた。・・・ 宮本百合子 「プロレタリア婦人作家と文化活動の問題」
一九三一年五月は、日本のプロレタリア文学運動の歴史にとって、一つの記念すべき月だった。 中旬に、労農芸術家連盟が第三次の分裂を行った。脱退した細田源吉以下十一名はすぐ前線作家同盟を組織した。 だが数日のうちに組織の・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
答 ナップでは加盟させます。 文戦を脱退した人は、第一次の脱退の場合も最近の第二次の場合にも、すぐ文戦打倒同盟というものを自主的に組織してナップ加盟と同時に、自分たちの階級的立場を明瞭にしてきました。 日本における・・・ 宮本百合子 「文戦脱退はなぜすぐナップに加入出来るのか?」
出典:青空文庫