・・・中の女の顔を蚯蚓腫れだらけにしたと言うことです。 半之丞の豪奢を極めたのは精々一月か半月だったでしょう。何しろ背広は着て歩いていても、靴の出来上って来た時にはもうその代も払えなかったそうです。下の話もほんとうかどうか、それはわたしには保・・・ 芥川竜之介 「温泉だより」
・・・この顔中紫に腫れ上った「物」は、半ば舌を吐いたまま、薄眼に天井を見つめていた。もう一人は陳彩であった。部屋の隅にいる陳彩と、寸分も変らない陳彩であった。これは房子だった「物」に重なりながら、爪も見えないほど相手の喉に、両手の指を埋めていた。・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・しかも一人は眉間のあたりを、三右衛門は左の横鬢を紫色に腫れ上らせたのである。治修はこの二人を召し、神妙の至りと云う褒美を与えた。それから「どうじゃ、痛むか?」と尋ねた。すると一人は「難有い仕合せ、幸い傷は痛みませぬ」と答えた。が、三右衛門は・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・鏡に向って見ると、左の頬が大分腫れている。いびつになった顔は、確にあまり体裁の好いものじゃない。そこで右の頬をふくらせたら、平均がとれるだろうと思って、そっちへ舌をやって見たが、やっぱり顔は左の方へゆがんでいる。少くとも今日一日、こんな顔を・・・ 芥川竜之介 「田端日記」
・・・ 母はそういっても、どこか悪いところがあるかしらんと思ったらしく、省作の背へ回って見上げ見おろしたが、なるほど両手の肘と手くびが少し腫れてるようだけど、やっぱりくたぶれたに違いないという。「そうかしら、なんだか知らないけど、ばかに腰・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・ 寝ころんでいたせいもあろう、あたまは重く、目は充血して腫れぼッたい。それに、近ごろは運動もしないで、家にばかり閉じ籠り、――机に向って考え込んでいたり――それでなければ、酒を飲んでいたり――ばかりするのであるから、足がひょろひょろして・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・顔がこんなに腫れました。手も腫れました。眼が充分明けません。一寸鏡を貸して下さい」と言います。その時私は、鏡を見せるのはあまりに不愍と思いましたので、鏡は見ぬ方がよかろうと言いますと、平常ならば「左様ですか」と引っ込んで居る人ではなかったの・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・自分の顔がまるで知らない人の顔のように見えて来たり、眼が疲れて来る故か、じーっと見ているうちに醜悪な伎楽の腫れ面という面そっくりに見えて来たりする。さーっと鏡の中の顔が消えて、あぶり出しのようにまた現われたりする。片方の眼だけが出て来てしば・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
・・・』『ハあ、お峰がそう言ってよ、そしてね姉さんのお目が大変赤くなって腫れていましたよ。』文造はしばらく物思いに沈んでいたが、寒気でもするようにふるえた。突然暇を告げて、そしてぼんやり自宅に帰った。かれは眩暈のするような高いところに立ってい・・・ 国木田独歩 「まぼろし」
・・・手を触れると、丁度てっぺんが腫れ上っていた。彼は煙突の方に向いて両手で顔を蔽うて泣いた。 仕事が始る時、従兄がやって来て、「阿呆が、もっと気を付けい!」と云った。 併し、京一は、それを聞いていなかった。彼は、何故か自分一人が・・・ 黒島伝治 「まかないの棒」
出典:青空文庫