・・・鼻の穴が三角形に膨脹して、小鼻が勃として左右に展開する。口は腹を切る時のように堅く喰締ったまま、両耳の方まで割けてくる。「まるで仁王のようだね。仁王の行水だ。そんな猛烈な顔がよくできるね。こりゃ不思議だ。そう眼をぐりぐりさせなくっても、・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・既に文芸委員が政府の威力を背景に置いて、個人的ならざるべからざる文芸上の批判を国家的に膨脹して、自己の勢力を張るの具となすならば、政府はまた文芸委員を文芸に関する最終の審判者の如く見立てて、この機関を通して、尤も不愉快なる方法によって、健全・・・ 夏目漱石 「文芸委員は何をするか」
・・・国家が危くなれば個人の自由が狭められ、国家が泰平の時には個人の自由が膨脹して来る、それが当然の話です。いやしくも人格のある以上、それを踏み違えて、国家の亡びるか亡びないかという場合に、疳違いをしてただむやみに個性の発展ばかりめがけている人は・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・その時分には県下に二つしか中学がなかったので、その中学もすばらしく大きい校舎と、兵営のような寄宿舎とを持つほど膨張した。 中学は山の中にあった。運動場は代々木の練兵場ほど広くて、一方は県社○○○神社に続いており、一方は聖徳太子の建立にか・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・西洋の蒸気も東洋の蒸気も、その膨脹の力は異ならず。亜米利加の人がモルヒネを多量に服して死すれば、日本人もまた、これを服して死すべし。これを物理の原則といい、この原則を究めて利用する、これを物理学という。人間万事この理に洩るるものあるべからず・・・ 福沢諭吉 「物理学の要用」
・・・ 二 日本の新聞の歴史は、こうして忽ち、反動的な強権との衝突の歴史となったのであるが、大正前後、第一次欧州大戦によって日本の経済の各面が膨脹したにつれて、いくつかの大新聞は純然たる一大企業として、経営される・・・ 宮本百合子 「明日への新聞」
・・・「膨脹する宇宙」という本は、私の読んだことのない本だが、やはりその推移を描いているのだろう。文学としてのギリシャ神話は宇宙の壮大と美麗と威力とへの関心を当時の都市の形成を反映している神とその人間ぽい生活感情で形象していて面白い。イギリスの十・・・ 宮本百合子 「科学の常識のため」
・・・そして近代国家としての日本は、軽工業の労働の裡に青春を消耗しつくす貧困、無智な婦人の労力を土台にして、第一次欧州大戦迄膨張をつづけて来たのであった。 第一次大戦終了の後、漸々新婦人協会が治安警察法第五条の改正を議会に請願し、世界の社会情・・・ 宮本百合子 「現実に立って」
・・・ モラトリアムで学生の学費一五〇円と制限されたが、この食糧難、住宅難、まして交通費の膨脹で、学生は帳面一冊買いにくいこととなった。文化の最も大切な資材である紙は決してやすくなっていない。印刷費は却って上って来ている。憲法草案第二十一条に・・・ 宮本百合子 「現実の必要」
・・・したがって、こんにちフロイドの精神分析をうけつぐ人があるならば、そのひとは、第二次大戦後、性コンプレックスは、その複合体のうちにどれほど多量の経済、政治上の要因をふくんで膨脹して来たか、を見ずにいないであろう。そして、その人も、おそらくは、・・・ 宮本百合子 「心に疼く欲求がある」
出典:青空文庫