・・・当時子供の自分の目に映じた棉の花は実に美しいものであった。花冠の美しさだけでなくて花萼から葉から茎までが言葉では言えないような美しい色彩の配合を見せていたように思う。観賞植物として現代の都人にでも愛玩されてよさそうな気のするものであるが、子・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・この空中反転作用は花冠の特有な形態による空気の抵抗のはたらき方、花の重心の位置、花の慣性能率等によって決定されることはもちろんである。それでもし虻が花の蕊の上にしがみついてそのままに落下すると、虫のために全体の重心がいくらか移動しその結果は・・・ 寺田寅彦 「思い出草」
・・・ただ科学の野辺に漂浪して名もない一輪の花を摘んではそのつつましい花冠の中に秘められた喜びを味わうために生涯を徒費しても惜しいと思わないような「遊蕩児」のために、この取止めもない想い出話が一つの道しるべともなれば仕合せである。・・・ 寺田寅彦 「科学に志す人へ」
・・・ 日によってはまた、浅間の頂からちょうど牡丹の花弁のような雲の花冠が咲き出ていることもある。それからまた、晴れた日に頂上が全く見えないことがあるかと思うと、雨の降るのに頂上までありあり見えることもある。この天然の大仕掛けの気象観測機械を・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・そういう人たちが、もし途上の一輪の草花を採って子細にその花冠の中に隠された生命の驚異を玩味するだけの心の余裕があったら、おそらく彼らはその場から踵を返して再び人の世に帰って来るのではないかという気もするのである。 二 盆踊り・・・ 寺田寅彦 「沓掛より」
・・・ シモツケの繖形花も肉眼で見たところでは、あの一つ一つの花冠はさっぱりつまらないものであるが、二十倍にして見るとこれも驚くべき立派な花である。桃色珊瑚ででも彫刻したようで、しかもそれよりももっと潤沢と生気のある多肉性の花弁、その中に王冠・・・ 寺田寅彦 「高原」
・・・大部分はただ緑色で、それに濃い紫の刷毛目を引いた花冠は、普通の意味ではあまり美しいものではないが、しかしそのかわりにきわめて品のいい静かに落ち着いた美しさがあった。これを、花やかに美しい、たとえばおとぎ話の王女のようなベコニアと並べて見た時・・・ 寺田寅彦 「病室の花」
・・・そうして充分延び切ってから再び頭をもたげて水面に現われ、そうして成熟し切った花冠を開くということである。つまり、最初にまず水面の所在を測定し確かめておいてから開花の準備にとりかかるというのである。 なるほど、睡蓮には目もなければ手もない・・・ 寺田寅彦 「藤棚の陰から」
出典:青空文庫