・・・島原や祇園の花見の宴も、苦肉の計に耽っている彼には、苦しかったのに相違ない。……「承れば、その頃京都では、大石かるくて張抜石などと申す唄も、流行りました由を聞き及びました。それほどまでに、天下を欺き了せるのは、よくよくの事でなければ出来・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・けれども、そのような失敗にさえ、なんとか理窟をこじつけて、上手につくろい、ちゃんとしたような理論を編み出し、苦肉の芝居なんか得々とやりそうだ。 ほんとうに私は、どれが本当の自分だかわからない。読む本がなくなって、真似するお手本がなん・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・弁慶の苦肉の折檻であった等とは、他人には、わからないのが当然である。客観的に、乱暴の張本人は、たしかに私なのである。酔ってなお大声で喚いている友人をあとに残して、私は主人に追われて店を出た。つくづく、うらめしい、気持であった。服装が悪かった・・・ 太宰治 「服装に就いて」
・・・高利貸資本を蓄積して徳川中葉から経済力を充実させて来た大阪や江戸の大町人が、経済の能力にしたがって人間らしい自分の欲望を発揮するためにはさまざまの苦肉策がとられた。大名、武家に対して町人の服装は制限されていたから、表は木綿で裏には見事な染羽・・・ 宮本百合子 「偽りのない文化を」
出典:青空文庫