・・・ そこで、茨城の方の田舎とやらに病院を建てた人が、もっともらしい御容子を取柄に副院長にという話がありましたそうで、早速家中それへ引越すことになりますと、お米さんでございます。 世帯を片づけついでに、古い箪笥の一棹も工面をするからどち・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ 明治十二年に茨城県の国生という村の相当の家に生れた長塚節は水戸中学を卒業しないうちに病弱で退学し『新小説』などに和歌を投稿しはじめた。 正岡子規が有名な「歌よみに与ふる書」という歌壇革新の歌論を日本新聞に発表したのは明治三十一年で・・・ 宮本百合子 「「土」と当時の写実文学」
・・・ラジオ放送、演説でくりかえすばかりでなく、茨城県の或るところでは、元校長の某氏が立候補して、立会演説があった。国民学校である会場へゆくと、各教室からワラワラと馳け出して来た児童らが、両手をメガフォンにして「ゴジ!」「ゴージイ!」と叫んだ実例・・・ 宮本百合子 「矛盾とその害毒」
・・・上流の子供には、教育ということをわきまえたおつきがつくが、中流の家庭で、女中を一人おくぐらいの経済事情のところでは地方の――福島や茨城、千葉などから働きに出て来た娘たちと、その家の子供の生活とが絡み合ってゆくのであった。 その娘たちは粗・・・ 宮本百合子 「私の青春時代」
出典:青空文庫