・・・そこには泥を塗り固めた、支那人の民家が七八軒、ひっそりと暁を迎えている、――その家々の屋根の上には、石油色に襞をなぞった、寒い茶褐色の松樹山が、目の前に迫って見えるのだった。隊はこの村を離れると、四列側面の隊形を解いた。のみならずいずれも武・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・この方は笠を上にした茶褐色で、霜こしの黄なるに対して、女郎花の根にこぼれた、茨の枯葉のようなのを、――ここに二人たった渠等女たちに、フト思い較べながら指すと、「かっぱ。」 と語音の調子もある……口から吹飛ばすように、ぶっきらぼうに古・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・かたまった血のような、色をしている。茶褐色である。棘のある毒物の感じである。紅蓮、というのは当っていない。もっと凝固して、濃い感じである。いかにも、兇暴の相である。とぐろを巻いて、しかも精悍な、ああ、それは蝮蛇そっくりである。私の眉にさえ、・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・それは、地震前には漆のように黒かった髪の毛が、急に胡麻塩になって、しかもその白髪であるべき部分は薄汚い茶褐色を帯びている事であった。そして、思いなしか、眼の光にも曇りが出来て、何となしに憔悴した表情がこの人の全外容に表われているのであった。・・・ 寺田寅彦 「雑記(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・刈ったあとには茶褐色にやけた朽ち葉と根との網の上に、まっ白にもえた茎が、針を植えたように現われた。そして強い土の香がぷんと鼻にしみるように立ちのぼった。 無数の葉の一つ一つがきわめて迅速に相次いで切断されるために生ずる特殊な音はいろいろ・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
・・・コップに一杯の砂糖水をつくって、その上に小さな罎に入った茶褐色の薬液の一滴を垂らすと、それがぱっと拡がって水は乳色に変わった。飲んでみると名状の出来ぬ芳烈な香気が鼻と咽喉を通じて全身に漲るのであった。何というものかと聞くと、レモン油というも・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
・・・つつじはもうすっかり散ったあとであったが、ほんの少しばかりところどころに茶褐色に枯れちぢれた花弁のなごりがくっついていたことと、初夏の日ざしがボーイのまっ白な給仕服に照り輝き、それがなんとも言えないはかない空虚な絶望的なものの象徴のように感・・・ 寺田寅彦 「B教授の死」
・・・様々な神や仏の偶像も出て来るが一つとして欠け損じていないのはない。茶褐色に変ったげんげやばらの花束や半分喰い欠いだ林檎もあった。修学証書や辞令書のようなものの束ねたのを投げ出すと黴臭い塵が小さな渦を巻いて立ち昇った。 定規のようなものが・・・ 寺田寅彦 「厄年と etc.」
・・・瑞々しい森林は緑に鈍い茶褐色を加え、雲の金色の輪廓は、冷たい灰色に換ります。そして朝から晩まで、一重に物懶く引延ばした雲の彼方から僅かに余光を洩す太陽の下に、まるで陰翳と云うものの無い万物を見るのは淋しゅうございます。五月の末に此方に来た時・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・ 縁側なしに造った家の敷居、鴨居から柱、天井、壁、畳まで、bitume の勝った画のように、濃淡種々の茶褐色に染まっている。正面の背景になっている、濃い褐色に光っている戸棚の板戸の前に、煎餅布団を敷いて、病人が寝かしてある。家族の男女が・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
出典:青空文庫