・・・ 古来有名なる、岩代国会津の朱の盤、かの老媼茶話に、奥州会津諏訪の宮に朱の盤という恐しき化物ありける。或暮年の頃廿五六なる若侍一人、諏訪の前を通りけるに常々化物あるよし聞及び、心すごく思いけるおり、又廿五六なる若侍来る。好き連と・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
・・・また、この外曾祖父が或る日の茶話に、馬琴は初め儒者を志したが、当時儒学の宗たる柴野栗山に到底及ばざるを知って儒者を断念して戯作の群に投じたのであると語ったのを小耳に挟んで青年の私に咄した老婦人があった。だが、馬琴が少時栗山に学んだという事は・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・雨が降って浜へも出られぬ夜は、帳場の茶話に呼ばれて、時には宿泊人届の一枚も手伝ってやる事もある。宿の主人は六十余りの女であった。昼は大抵沖へ釣りに出るので、店の事は料理人兼番頭の辰さんに一任しているらしい。沖から帰ると、獲物を焼いて三匹の猫・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・ 出征兵士の相当ある地方では、出征兵士の家族の若い婦人たちを茶話会、或いはその他の形であつめ、ブルジョアのバラまく戦争へのアジ、例えば桜井忠温の「銃剣は耕す」などという軍事通信の曝露をやり、次第にサークルへ組織して行くようなことも考えら・・・ 宮本百合子 「国際無産婦人デーに際して」
・・・ その家の若い令嬢として、お孝さんは、私たち子供連のことも、おそらくは大磯のことも、きっと茶話に出て知っていられたことだろうと思う。 十八九の娘にとって、十以上も小さい子たちは、何と稚いものに映ることだろう。反対に、七八つの女の児の・・・ 宮本百合子 「白藤」
・・・形式ばった茶話会がくずれてから、多喜子はヴェランダのところで煙草をすっている桃子のそばへよって行った。「お嫂さん、小包で送ったりして、何とか云ってらっしゃらなかった?」「平気よ。――きのうだか早速着て出かけたわ」 多喜子は、ちょ・・・ 宮本百合子 「二人いるとき」
・・・今議会中での彌次の秀逸は誰のどれという茶話も出るかもしれない。彌次というものを、庶民的な短評の形、川柳、落首以前のものとして考えれば、その手裏剣めいた効果、意味、悉く否定してしまうことは出来ないけれども、その形そのものが、徳川時代のものであ・・・ 宮本百合子 「待呆け議会風景」
出典:青空文庫