・・・ これは背の抜群に高い、年紀は源助より大分少いが、仔細も無かろう、けれども発心をしたように頭髪をすっぺりと剃附けた青道心の、いつも莞爾々々した滑稽けた男で、やっぱり学校に居る、もう一人の小使である。「同役(といつも云う、士の果か、仲・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・され度候趣、さて、ここに一昨夕、大夕立これあり、孫八老、其の砌某所墓地近くを通りかかり候折から、天地晦冥、雹の降ること凄まじく、且は電光の中に、清げなる婦人一人、同所、鳥博士の新墓の前に彳み候が、冷く莞爾といたし候とともに、手の壺微塵に砕け・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・ といいかけて莞爾としつ。つと行く、むかいに跫音して、一行四人の人影見ゆ。すかせば空駕籠釣らせたり。渠等は空しく帰るにこそ。摩耶われを見棄てざりしと、いそいそと立ったりし、肩に手をかけ、下に居らせて、女は前に立塞がりぬ。やがて近づく渠等・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・ そう云って莞爾笑うのさ、器量がえいというではないけど、色が白くて顔がふっくりしてるのが朝明りにほんのりしてると、ほんとに可愛い娘であった。 お前とこのとッつぁんも、何か少し加減が悪いような話だがもうえいのかいて、聞くと、おやじが永・・・ 伊藤左千夫 「姪子」
・・・と、いつも沈着いてる男が、跡から跡からと籠上る嬉しさを包み切れないように満面を莞爾々々さして、「何十年来の溜飲が一時に下った。赤錆だらけの牡蠣殻だらけのボロ船が少しも恐ろしい事アないが、それでも逃がして浦塩へ追い込めると士気に関係する。・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・なぜなら、自然のみが、どこに行っても、莞爾として、遊子を懐にいれて欺かないからだ。しかし、変らないというばかりでは、このことは説明されない。一脈故郷の空や、原野と、ながめの相通ずるものがあるがためである。 初期のロマンチストを目して、笑・・・ 小川未明 「彼等流浪す」
・・・と言って莞爾。 能く見ると母の顔は決して下品な出来ではない。柔和に構えて、チンとすましていられると、その剣のある眼つきが却って威を示し、何処の高貴のお部屋様かと受取られるところもある。「イイえどう致しまして」とお政は言ったぎり、伏目・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・とは私共に解らんで……」と莞爾微笑てそのまま首を引込めて了った。 真蔵は直ぐ書斎に返ってお源の所為に就て考がえたが判断が容易に着ない。お源は炭を盗んでいるところであったとは先ず最初に来る判断だけれど、真蔵はそれをそのまま確信することが出・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・どれどれ今日は三四日ぶりで家へ帰って、叔父さん叔父さんてあいつめが莞爾顔を見よう、さあ、もう一服やったら出掛けようぜ」と高話して、やがて去った。これを聞いていた源三はしくしくしくしくと泣き出したが、程立って力無げに悄然と岩の間から出て、流の・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・晩成先生は莞爾とした。今行くよーッと思わず返辞をしようとした。途端に隙間を漏って吹込んで来た冷たい風に燈火はゆらめいた。船も船頭も遠くから近くへ飄として来たが、また近くから遠くへ飄として去った。唯これ一瞬の事で前後はなかった。 屋外は雨・・・ 幸田露伴 「観画談」
出典:青空文庫