・・・……竜と蛞蝓ほど違いましても、生あるうちは私じゃとて、芸人の端くれ。太夫様の御光明に照らされますだけでも、この疚痛は忘られましょう。」と、はッはッと息を吐く。…… 既に、何人であるかを知られて、土に手をついて太夫様と言われたのでは、その・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・腐りかけた板ばめの上には蛞蝓の匐た跡がついている。何処からともなく便所の臭気が漲る。 衛生を重ずるため、出来る限りかかる不潔を避けようためには県知事様でもお泊りになるべきその土地最上等の旅館へ上って大に茶代を奮発せねばならぬ。単に茶代の・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・その男は小さな、蛞蝓のような顔をしていた。私はその男が何を私にしようとしているのか分らなかった。どう見たってそいつは女じゃないんだから。「何だい」と私は急に怒鳴った。すると、私の声と同時に、給仕でも飛んで出て来るように、二人の男が飛んで・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・丁度物干竿と一しょに蛞蝓を掴んだような心持である。 この時までに五六人の同僚が次第に出て来て、いつか机が皆塞がっていた。八時の鐸が鳴って暫くすると、課長が出た。 木村は課長がまだ腰を掛けないうちに、赤札の附いた書類を持って行って、少・・・ 森鴎外 「あそび」
出典:青空文庫